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1.矢内原忠雄文庫設置の経緯
 琉球大学附属図書館には、 沖縄関係資料を中心とした貴重な文庫やコレクションがあるが、 そのなかの一つに矢内原忠雄文庫がある。
 同文庫は、過去二度にわたって寄贈されて現在に至っている。 最初の寄贈は、1987年(昭和62)12月で、 そのときのいきさつは、 琉球大学附属図書館報 『びぶりお』第28巻第3号(1995年)の巻頭に掲載された 垣花豊順氏の「『矢内原忠雄文庫』に学ぶ大学教育の理念」 で詳細に次のように記されている。

矢内原の講演に勇気づけられたのは大人だけではなかった。 講演の内容をよく理解できない中学生も 矢内原が柔和な表情である時は聴衆を諭すかのように語りかけ、 ある時は人びとを鼓舞するかのように 身を乗り出して獅子吼する姿に感動した。 池間誠(当時中学生)は1月18日コザ中学校で教職員に対して 「戦後の教育理念」と題して行われた講演会に出席し、 矢内原の「希望に生きよ」との言葉に心を打たれた。 矢内原に憧憬した池間少年は小樽商科大へ進み 一橋大学大学院で矢内原と同攻の国際経済学を専攻することになった。 国際経済学会に入会した池間は、 間もなく矢内原忠雄の三男で 当時慶応義塾大学教授だった勝氏 (現在は常葉学園浜松大学国際経済学部教授) の知遇を得て研究活動に精励するようになった。 現在一橋大学経済学部学部長の重職にある池間は 「勝教授は忠雄先生と風貌がそっくりなので、 親近感を感じて親しくなり教えを受けるようになった」 と語っておられる。 矢内原忠雄が昇天した後、 蔵書は、東京大学、国際キリスト教大学、 慶應義塾大学等に寄贈された。 池間は、矢内原の息吹を沖縄に残したいと念じて、 なお残っている矢内原の蔵書等を 琉大図書館へ寄贈することを勝氏に提案した。 勝氏は、矢内原が沖縄に対して深い関心をもっていたことや 沖縄の地理的・歴史的背景に照らして、 南洋群島調査資料を主体とし、図書と直筆原稿等を寄贈することにした。 小樽商科大で池間と一緒に学んだ宮城準(琉球セメント専務)は 本を搬入するための資金を援助し、 小樽商科大、一橋大で池間の一年先輩の富永斉(琉球大学法文学部教授) が本の受け入れに伴う雑務を処理して、矢内原文庫の設置は実現した。
*個人の役職は、本文の書かれた当時のもの(筆者註)


 矢内原忠雄は、東京大学総長在職中に、 琉球大学と沖縄県教職員組合の招待で、 1957年(昭和32)1月に来沖し、 16日から20日までの5日間というわずかな滞在であったにもかかわらず、 精力的に各地で前後7回にわたって講演を行っている。 「世界、沖縄、琉球大学」と題して琉球大学で行われた矢内原忠雄の講演を 垣花豊順氏は地べたに座って聴き、 中学生だった池間誠氏は、 コザ中学校で「戦後の教育理念」という矢内原忠雄の講演を聴いていた。 引用文のなかにある「矢内原の講演」とは、そのときの講演のことである。
 それから約30年後、垣花豊順氏が記すように、 池間誠氏の「矢内原の息吹を沖縄に残したい」という熱意と 矢内原忠雄蔵書寄贈の提案、 そのことに深い理解を示し、 沖縄という地に十分配慮した矢内原勝氏の決断、 池間誠氏と同学の宮城準氏、先輩の富永斉氏らの尽力によって、 琉球大学附属図書館の矢内原忠雄文庫の設置が実現したのである。
 1987年(昭和62)12月11日、 矢内原忠雄文庫の設置と寄贈者矢内原勝氏へ 当時琉球大学学長であった東江康治学長からの感謝状が贈呈されたことの報告が、 同館報『びぶりお』第21巻第1号(1988年)に掲載されている。
 矢内原忠雄文庫資料の二回目の寄贈は、 1995年(平成7)9月である。 その契機となったのは、 先に寄贈された矢内原忠雄文庫の南洋群島関係資料展の開催であった。 琉球大学附属図書館が 首里キャンパスから現在の千原キャンパスへ移転、開館してから 約10年後に建物が大幅に増築され、 それにともなって多目的ホールが完成した。 多目的ホールは、講演会の開催や附属図書館が所蔵する貴重資料を 広く一般に公開することなどを目的とし、 増築工事を終えた翌年から、貴重資料展が開催され、 第1回仲宗根政善先生言語資料展、第2回伊波普猷文庫資料展に引き続き、 矢内原忠雄文庫南洋群島関係資料展が 第3回資料展として開催するはこびとなった。 その開催する旨を、琉球大学から寄贈者矢内原勝氏へお伝えしたところ、 矢内原勝氏からさらに追加寄贈の意向が示されたことによって、 同文庫はさらに充実することになった。 矢内原忠雄文庫南洋群島資料展期間中には、矢内原勝氏をご招待し、 当時の琉球大学砂川恵伸学長をはじめ、 沖縄キリスト教短期大学原喜美学長もお見えになって、 矢内原勝氏歓迎と資料展開催の祝宴が大学会館で行われた。
 この二回目の寄贈資料は、植民地政策に関する蔵書やノート類に加え、 同文庫設置に尽力した池間誠氏、垣花豊順氏らが勇気づけられた 1957年の来沖時の矢内原忠雄氏の講演や滞在中の様子をつづった 沖縄教職員組合から送られたアルバム(写真集)も含まれている。

2.矢内原忠雄文庫資料概要と整理の過程
 矢内原忠雄文庫の資料数は、最初の寄贈時で647点(冊)、 そして199冊の追加寄贈で、合計846点(冊)となっている。 資料形態でみると、 出版物、刊行物類の矢内原忠雄旧蔵書と 矢内原忠雄が書き記した調査や文献のメモ類、 植民地関係の調査資料、 著書の自筆原稿やノート類など原資料群に大別される。
 最初の寄贈直後に整理された目録で確認してみると、 矢内原忠雄著作物24冊、 矢内原忠雄原稿7点、 矢内原忠雄研究用資料37点、 レリーフ2点、 総記類41冊、 哲学・宗教類56冊、 歴史・伝記類132冊、 社会科学類180冊、 自然科学類24冊、 工業類5冊、 産業類16冊、 芸術類34冊、 言語類15冊、 文学類74冊 となっている。
 上記の矢内原忠雄著作物や 総記類、哲学・宗教類、歴史・伝記類、社会科学類などの 旧蔵書677冊については、その時点での整理でほぼ決着をみたが、 課題として残されたのが、 「矢内原忠雄原稿」や「矢内原忠雄研究用資料」などの原資料群の整理であった。 とくに、「矢内原忠雄研究用資料」として仮整理された37点は、 「南洋資料」とか「朝鮮・台湾資料」、「満州」、「樺太」 と記された袋(和紙)の単位の点数で、 そのなかには、数十点、なかには百点近くにのぼる資料が入れられており、 具体的な資料の姿がみえないままの状態であった。 その袋入りの資料こそが、矢内原忠雄が満州、樺太、台湾の植民地、 そして委任統治領南洋群島を訪れ、現地で収拾した資料であり、 また、自著『南洋群島の研究』や『植民及び植民政策』を著述するための メモ類や覚え書きなどの原資料群で、矢内原忠雄文庫の中核をなすものであった。
 琉球大学附属図書館では、矢内原忠雄文庫設置当初から、 矢内原忠雄原稿7点や 矢内原忠雄研究資料37点の資料(のちに追加寄贈のノート類も含む) 以外の刊行物については、 開架書架に配架し、広く利用者に供してきたが、 矢内原忠雄原稿7点や矢内原忠雄研究資料37点の資料、 追加寄贈のノート類は、 きわめて稀少性の高い貴重な原資料群であること、 また当初から資料そのものの紙質に起因する劣化が見られたこと、 矢内原忠雄が万年筆で書き込んだ文字などのインクに退色がみられるなど、 資料の保存という観点から 開架書架に配架して利用者へ供することには無理があり、 貴重資料書庫に納められることになった。 閉架式の貴重資料書庫に納められた原資料群についても、 矢内原忠雄文庫文庫設置当初から希望する利用者、 閲覧者への提供はしていたものの、 前述したとおり、袋入りになったままの状態で、 体系的な整理がなされておらず、 利便性において問題点を残していた。
 やがて、そのような状況を打開するきっかけが訪れることになった。 矢内原忠雄文庫設置から約8年後、 1995年(平成7)に開催された矢内原忠雄文庫南洋群島関係資料展である。 その前年から委任統治領南洋群島を研究対象としている 今泉裕美子氏(当時津田塾大学助手、現法政大学国際関係学部助教授)が、 矢内原忠雄文庫の貴重資料の調査のためにたびたび来館されていた。 今泉裕美子氏の全面的な協力を得て、 矢内原忠雄文庫の原資料群の南洋群島に関わる原稿類や 研究資料の整理が本格的に着手されることとなった。 その整理作業は、とうてい数日でできるものではなく、 長期間に及ぶことになった。 その間、今泉裕美子氏は、その整理のために公費、私費を投じて 東京から沖縄へかけつけていただいた。 その成果は、パンフレット 『矢内原忠雄文庫南洋群島関係資料展』 (琉球大学附属図書館展示委員会編、琉球大学附属図書館発行 1995年9月) で結実している。
 この資料展開催によって、 矢内原忠雄文庫植民地関係資料群の 南洋群島関係の資料については一定の整理をみたが、 残された台湾や朝鮮、満州、樺太関係資料がその後の課題となっていった。 その課題であった原資料群の整理に着手されたのが、 お茶の水女子大学教育学部小風秀雄ゼミ8名による調査であった。 その成果が 『琉球大学附属図書館蔵 矢内原忠雄文庫仮調査目録』 (お茶の水女子大学教育学部小風秀雄ゼミ編 2001年7月)である。 この仮調査目録は、矢内原忠雄文庫設置当初の目録を基本に、できうる限り、 今泉裕美子氏作成「南洋群島関係資料目録」 (前掲『矢内原忠雄文庫南洋群島関係資料展』所収) との重複をさけて作成されている。

3.矢内原忠雄文庫植民地関係資料画像データベースの構築
 画像データベース構築の対象は、 矢内原忠雄文庫の旧蔵書を除き、 矢内原忠雄が書き記した調査や文献のメモ類、 調査資料、著書の自筆原稿やノート類などの植民地関係の原資料群である。 最初の寄贈当初に作成された目録でいえば、 「矢内原忠雄原稿」や「矢内原忠雄研究用資料」ということになる。 それに二回目に寄贈された調査や講義のノート類が加わった。
 具体的な作業としては、 矢内原忠雄文庫原資料群の全資料の確認からはじめ、 植民地関係資料の選定・抽出を行い、それから整理をおこなった。 資料整理は、南洋群島関係資料が原資料群の約42%を占めることから、 前述した今泉裕美子氏作成の「矢内原忠雄南洋群島関係目録」を基準とし、 さらに小風ゼミ作成の「矢内原忠雄文庫仮調査目録」を参照しつつ、 これまでに部分的にマイクロ撮影された原資料群の撮影リストを利用して進め、 対象となっている原資料群を再確認し、再整理を行い、新たに目録を作成した。
 その結果、当初の目録で 「矢内原忠雄原稿7点」 「矢内原忠雄研究用資料37点」とされたものが、 683点を数えることになった。 その内訳は、 南洋群島関係で285点、 台湾関係88点、 朝鮮関係9点、 満州関係34点、 樺太関係20点、 植民関係74点、 研究資料25点、 ノート82点、 その他32点、 矢内原蔵書19点、 教科書15点となっている。 なお、矢内原蔵書と教科書は、画像データベースの対象外となっている。
 これまで846点とされてきた矢内原忠雄文庫資料は、 画像データベース構築するための整理を行った結果、 矢内原忠雄旧蔵書677冊に 植民地関係原資料群の683点を加えて合計1,360点となった。
 前述したように矢内原忠雄文庫の設置から十数年の歳月を経て、 琉球大学学内および学外の研究者の協力を得て、 ようやく矢内原忠雄文庫資料の全貌が明らかになってきたのであるが、 それにともなって貴重な資料の保存(内容保存)と利用者への提供が ここ数年の琉球大学附属図書館の課題となってきていた。 この二つの課題は、親川兼勇館長を研究代表とし、 学内の諸先生方および図書館職員で構成された研究チームによる 科学研究費補助金で行った 矢内原忠雄文庫植民地関係資料画像データベースの構築によって ほぼ解消されることになったのである。
 また、作業のなかでもっとも時間と忍耐を要する資料の1点1点の確認は、 琉球大学附属図書館職員と 琉球大学大学院の卒業生で沖縄県史料編集室で 南洋群島関係資料の整理の経験をもつ福園宜子さんが担当し進められた。 その確認作業は、名刺の余白や裏の白紙、あるいは、 東京大学の答案用紙の裏や断片に矢内原忠雄が書き残したもの確認から、 矢内原忠雄の著作『南洋群島の研究』草稿および初稿、 『植民及植民政策』の原稿と実際に刊行された著作物と丹念につきあわせ、 照合を行う緻密なものであったことを記しておきたい。
 戦後60年を経た今日、日本の植民地研究は、 いわゆる「ポスト・コロニアル」という研究の思潮もあって、 1990年代以降の研究活動は一段と活発化してきている。 矢内原忠雄文庫の植民地関係資料が その研究に寄与することはいうまでもないことであり、 「外地」と呼ばれた植民地と日本の関係、 植民地研究の深化にむけて広く利用、活用されることが期待される。
 矢内原忠雄が研究対象とし、調査に出かけた満州、朝鮮、台湾の植民地、 それに委任統治領南洋群島には、第二次世界大戦前、 日本の植民地統治下の時代に、 沖縄から多くの人びとが出稼ぎや移民として渡った地域でもあった。 とりわけ南洋群島については、 戦前期在住日本人の約60%が沖縄出身者で占められていた。 冒頭の引用文で垣花豊順氏が述べているように、 「矢内原(忠雄)の息吹を沖縄に残したい」 という池間誠氏の熱意に応えた「勝氏は、 矢内原が沖縄に対して深い関心をもっていたことや 沖縄の地理的・歴史的背景に照らして、 南洋群島調査資料を主体とし、 図書と直筆原稿等を寄贈することにした」 とあるように、 矢内原忠雄旧蔵資料がこれから将来もっとも活用されるところが、 琉球大学であり、沖縄であることを期待したものであった。 今回の画像データベースの構築、公開は、 琉球大学附属図書館所蔵の貴重資料の公開としてはもちろんのこと、 広く沖縄県の財産として活用できる環境が構築されたことにほかならず、 沖縄学研究にとっても意義深いことであり、 矢内原忠雄文庫が琉球大学附属図書館に設置された 最大の目的が達成されたものといえよう。

(榮野川敦 うるま市教育委員会文化部市史編さん課)

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