仲宗根政善 言語資料
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[解題]仲宗根政善先生とその資料について

1. 方言学者としての仲宗根政善先生

琉球大学名誉教授で私どもの琉球方言研究のための研究組織, 沖縄言語研究センターの代表をお引き受けいただいている国語学専攻の仲宗根政善先生は,沖縄戦におけるひめゆり学徒の引率者として,女生徒たちに命の尊さを教え,かつ戦後は亡くなった自分の生徒たちを供養し続けた平和主義者としても,また,沖縄戦直後の灰塵と瓦礫の中から,沖縄における教育を復興させる仕事に尽力された教育者としても,つとに著名な方でありますが,自らの専門とせられた琉球方言研究と,沖縄における琉球方言研究者の養成に尽くされた業績もまた,極めて大きなものであります。

一口にいいますと,仲宗根先生は第2次世界大戦前の琉球方言研究と大戦後の研究とをつなぐ役割をつとめ,かつ,戦前までは,どちらかといえば東京を中心にして,伊波普猷,宮良当壮,金城朝永など,主に少数の沖縄県出身の研究者によって進められてきた琉球方言研究を,長年のご自分の研究を通じて,また琉球大学国文科における,多くの弟子の方言研究者の養成を通じて,地元沖縄にしっかりと根づかせる仕事をなすった方であるといえます。

親友の服部四郎(言語学,東京大学名誉教授,文化勲章受賞者)らとともに東京大学文学部で橋本進吉らに国語学を学び,研究者を志望しつつも,昭和初期の不況で東京に職を得られず,故郷今帰仁(なきじん)に近い沖縄北部,名護の沖縄県立第3中学校の教諭となられた仲宗根政善先生は,戦前ご発表になった沖縄北部国頭地方の方言に関する少数の論文をのぞけば,沖縄県立第3中学校の教諭時代以降十数年間にわたりお集めになられ,沖縄戦の戦場でも大切に持ち歩かれたという琉球列島諸方言に関する蓄積された貴重な資料を,沖縄戦で一旦すべて失ってしまわれました。そして戦争ですべてが灰塵に帰し,かつ復興が本土よりずっと遅れた沖縄で,先生が琉球方言の研究を再開なさるのは1950年代に入ってからですが,その頃, 先生は国立国語研究所の沖縄担当の地方研究員として,復帰前の沖縄のまだ交通不便であった宮古諸島,八重山諸島を含む60箇所以上の地点の方言を自ら調査なさって,国立国語研究所の『日本言語地図』の作成に多大の協力をなさるとともに,国立国語研究所から出版された琉球王国の旧都, 首里の方言を対象とした『沖縄語辞典』(1963)に大いに啓発されつつ,ご自分の故郷の国頭郡今帰仁村与那嶺方言研究の集大成である『沖縄今帰仁方言辞典』を,数次にわたって書きかえられた稿本の段階を経て,1983年に完成なさいました。この今帰仁方言は, 首里方言など,沖縄中南部方言と対立し,これと大きく異なる沖縄北部方言に属するために,その学術的価値は大きく,琉球方言を対象にしたこの2冊の方言辞典は日本語方言学史上の最も優れた学術的業績に属するものであるといえます。

研究者としては極めて地味な, かつ慎重な態度を堅持され,それゆえ発表された琉球方言に関する著作は多くはないのですが,その研究の関心は琉球列島の諸方言全体,そして「おもろさうし」などの古典琉球語,そして琉球方言と日本語古代語の比較などの広い分野におよび,戦後研究を再開されてから老衰によって研究の第一線から退かれるまでに集められ,書き留められた未公刊の膨大な方言研究資料は, 先年琉球大学図書館へ一括して移管されて, 目下同先生の同郷の弟子の研究者によって整理が進められつつあり,この研究資料は今後の琉球方言研究に大きく役立てられることになるかと思われます。

また,先生は琉球大学における教育活動を通じて,師弟からまれにみるほど敬愛される指導者として,多くの方言研究者を育てられました。今日隆盛している琉球方言研究はその大部分が先生の薫陶を受けた人々によって成し遂げられたものだといえます。本土方言とともに日本語を二分し, また日本語の成立の歴史の研究上無視することのできない, 日本語方言学の宝庫ともいうべき琉球方言の研究は近年たいへん盛んになったともいえますが, 先生を抜きにして今日の琉球方言研究について語ることは考えられません。

なお,この推薦文を書いている筆者も,かつて東京で国立国語研究所において琉球方言を研究し,その過程で先生の業績と人柄を知り,先生の招きによって琉球大学における先生の仕事のあとを継ぐことに喜びを感じるに至った者であることを付け加えさせていただきます。

2.仲宗根政善沖縄言語資料について

第2次大戦後の琉球方言学の復興と繁栄の功績の多くが,この大学が創設されて以来,定年退職まで長く国語学を講ぜられ,副学長も務められた仲宗根政善名誉教授に帰せられるものである。沖縄戦のさなか,ひめゆり学徒の引率者として生徒に命の尊さ,平和の大切さを教えた教育者として,そして平和主義者として名高い仲宗根政善は,方言学者としても,自らのふるさと今帰仁与那嶺の方言をはじめとする琉球列島の数多くの方言を研究,記録し,その間,多くの若手の方言研究者を育成した。仲宗根が1932年に東京大学の文学部国語国文学科を卒業したとき, 研究者として東京に職を得ることができず,故郷に帰らなければならなかったという事情, そして, 沖縄戦で戦場を生徒とともにさまよいながら,九死に一生を得たということは,戦後の,そして今の沖縄にとってみれば, なんと幸運な,また意義深いことであっただろう。仲宗根は若いとき,名護にあった県立3中の教諭の時代に自ら集めて,大戦中も大切に持ち歩いた列島方言の貴重な調査資料をいったん戦場ですべて失ってしまっている。したがって,今回,琉球大学図書館が蔵することになった資料(以下,仲宗根資料と略称)はすべて戦後のもの,しかもほとんどが戦後の沖縄にはじめてつくられた高等教育機関,琉球大学で,ようやく学問らしい学問が芽生えはじめた時代,だいたい1950年代なかば以降のものである。ご自身が視力の減退などによって, もはやこの大量の資料を駆使した研究が困難になられたため,戦後の琉球方言学のあゆみを代表しているともいえるその資料の貴重さを知る弟子たちが心配して,先生とご家族との同意をえて,資料のリストアップ作業を経て,今後の琉球方言学の研究にこれをできるだけ役立てるため,これを琉球大学図書館の所管に移すことが同意されたのであった。

この資料は原稿用紙などに書かれて製本されたもの,バインダーで綴じられたもの,大学ノート, 記入された各種の調査票, そしてこれら資料の中に印刷物から切り取られて貼り込まれているもの,あるいは単にはさみ込まれているもの,さらには, 研究上の情報の詳細な書き込みの行われた書物など,形態はさまざまである。これらを, 仲宗根の琉球大学の弟子で,同じ今帰仁出身の方言研究者, 島袋幸子が一次的な整理とリストアップ作業を行った。その結果によれば,その量は今のところ全体でおよそ6万7千ページあまりに達していて,なお未整理のものが若干発見されつつあるので,総量はこれより若干増加するはずである。

今帰仁村与那嶺という,私など本土出身者にとっては不思議な響きを持っていた地名は,日本の方言学史上,仲宗根とその畏友の言語学者で仲宗根を相手にこの方言の音韻とアクセントとをはじめて研究した服部四郎東京大学名誉教授によって,第2次大戦前から研究者の間では知られていたが,仲宗根資料の約3分の1はのちに彼の代表的な著作となった『沖縄今帰仁方言辞典』(1983, 角川書店) の完成に至るまでの, 長期間に及び,何度も書き換え作業の行われた各段階の原稿を主とする今帰仁方言研究資料である。そしてその中には, 今帰仁方言の助詞の研究などのように, ほぼ完成しながら,まだ刊行に至っていない多くの原稿も含まれている。

さらにまた,この上ない貴重な研究資料として, 彼が戦後方言研究を再会してからの琉球列島諸方言についての多くの地点での隣地調査の記録が含まれている。沖縄が本土に復帰する以前も仲宗根は決して本土の言語研究, 方言研究と無関係に自分の研究を展開していたわけではなかった。彼が指導した琉球大学学生の琉球方言研究クラブも仲宗根が琉球大学に招聘教授として招いた服部四郎の講義が契機となって発足したのだが,この服部のつくった基礎語彙調査票は服部らのアイヌ語方言辞典, 長田須磨らの奄美方言分類辞典など,さまざまな研究に際して役立てられたが,仲宗根もこれを使っていくつもの方言を調査した。

また仲宗根は1958年から62年まで,国立国語研究所の地方研究員として『日本言語地図』のための調査に参加する。国立国語研究所は各県にひとりずつ, その県を代表する方言学者に委嘱して日本全体の組織的な方言研究を推進してきた。その頃,私は国立国語研究所にあって島袋盛敏が最初の稿本を書いた『沖縄語辞典』(1963,大蔵省印刷局) の編集を担当する一方, 『日本言語地図』の仕事にも参画していた関係から,この間の事情をよく知る者であるが,日本語研究に占める琉球方言学の持つ重要性から,国立国語研究所はこの調査の開始後3年遅れて復帰前の沖縄もこれに加え,調査を仲宗根に委嘱したのだった。このとき仲宗根は5年間で国立国語研究所が要求した45箇所の方言のほかにも,自らの意志によっていくつもの地点を調査している。

仲宗根の調査結果は『日本言語地図』 (全6巻,1966〜74, 大蔵省印刷局) に反映されてはいるが, そこからは仲宗根が記録した精密な音声の表記を知ることはできない。この当時はまだ日本全国の方言学者に精密な音声学的表記による報告を要求できるほど,日本の方言学の水準は全体としては高くなかったので,統一的な整理と作図をする必要からそうなってもいたしかたないのである。そして,戦前の仲宗根の前半生の研究による資料が,彼が戦前にその成果をまとめたわずか3編の論文(仲宗根『琉球方言の研究』1987, 新生社に再録) に発表したわずかな部分を除いては失われてしまった以上, この時期, すなわち仲宗根の後半生の琉球方言の記録は沖縄にとってはまったくかけがえのないものである。戦前に琉球方言学上大きな仕事をした人々は伊波普猷(那覇出身)にせよ,宮良当壮(石垣出身)にせよ,金城朝永(那覇出身)にせよ,東京にいて研究活動を行った。東京にいてさえも, これらの戦前の沖縄が生んだ日本の誇りうる琉球方言学の先駆者たちは,恵まれた研究条件にあるなどとは到底いえない不遇な環境にそれぞれあった。ましてや沖縄においては研究者として生きていく条件などなかった。したがって仲宗根はこの分野で沖縄にいて長期に広範な方言学的研究を行いえた最初の人なのである。そしてその記録は現在までに存在する琉球列島諸方言の記録資料の中で, 極めて質の高い精密なものである。なぜなら,彼は有気音と喉頭化無気音との音韻対立のある中央山原方言地域を出身地とするはじめての方言学者であり,かつ特に音韻とアクセントに関しては極めて正確な記録者であったから。それゆえ,彼の戦後のこの早い時期における記録は大変に貴重なものである。そしてこの時期の仲宗根によってはじめて記録された地点が少なくない。過去に幾度となく琉球方言の緊急の研究, 記録の重要性をとき,1980年代に入ってから仲宗根のあとを継ぎ,仲宗根を代表に仰いだ沖縄言語研究センターという組織のもとに琉球方言研究を大規模に展開してきた筆者らにしてみれば,仲宗根がのちの研究者がこれを利用することを期待しつつ,この骨の折れる仕事を行ってきたことを以前から知る者として,これらの資料を改めて目にするとき,深い感慨を呼び起こさないではいられないのである。東京で著作と編集とが行われた,というよりも当時は東京でしか行われえなかった『沖縄語辞典』も,仲宗根の『沖縄今帰仁方言辞典』に至る研究に大きな影響を及ぼしたことは, 今回の資料には含まれていない『沖縄語辞典』の余白への仲宗根の価値ある大量の書き込みがこれを証明している。(注)

仲宗根資料にはこのほかにも, 彼が長年にわたって,自身で,そして自宅で多くの後輩や弟子を誘って「おもろ研究会」として続けてきたおもろ研究に関するものその他が含まれ, それらは, 整理がすすみ, 利用しやすい形に整えられるならば,今後多くの方言研究者にさまざまな形で役に立つだろう。

さらに,仲宗根資料には,卓抜した教育者としての彼が戦後沖縄の国語教育の復興に尽くしていた文教学校時代の教育関係の記録, また,彼が副学長を務めた初期の琉球大学における自身の講演の原稿などを含め,教育に関する折々の所感, 意見などを含んだ記録なども含まれている。これらは戦後沖縄の教育史や琉球大学の歴史にとっても興味深い資料であろう。

教養部の仲程昌徳教授をはじめ何人かの方々の尽力, そして『沖縄今帰仁方言辞典』の編集にも携わった先述の島袋の骨おりによって, 仲宗根のこれらの資料は整理されつつある。しかし資料の形態が多様であるため,仕事はそれほど簡単ではない。たとえば一冊の調査票にペンと鉛筆と赤鉛筆とで,同時に3地点の方言資料が国際音声記号とアクセント符号によって記入されていたりして,マイクロ化,コピーなど,比較的安価に,かつ迅速になしうる整理の方法に頼れない部分が少なくない。整理は当然専門的な知識をもつ人の少なからぬ時間を必要とする。そして関係者は,資料のいたずらな死蔵や損壊が起こらないよう,そしてできるだけ早い時期に学内,学外の研究者に公開されて多くの研究者に利用できるよう,その方策を検討中である。

注)仲宗根先生の貴重な書きこみのある『沖縄語辞典』は,上の記述に反して今回の資料には含まれておらず,1997年現在は仲宗根家の書庫に保管されている。

追  記

以上は仲宗根先生が1992年に西日本新聞社から西日本文化賞を受賞された際に那覇市の依頼をうけて上村が執筆した推薦文(1) ,ならびに1990年,仲宗根先生の大量の研究資料が琉球大学附属図書館に移管されて先生と同郷の弟子,島袋幸子 (狩俣繁久夫人) の手によってその整理がすすめられていたとき,琉球大学附属図書館の依頼をうけて,同図書館の館報『びぶりお』No.89(1991) に執筆した先生の資料についての解説文(2) とをそのまま転載したものである。

長いご病床ののちに,1995年 2月14日に仲宗根先生はお亡くなりになられ,それからすでに満2年以上の月日が経過したが,私としては,先生の資料の整理がこうして無事に一段落し,その全体が研究者たちに公開される運びになることを心から慶ぶものである。個人の長期にわたって蓄積された大量の学術的な資料をほかの人が整理するという仕事は,専門的な知識と同時に長時間の奉仕的な努力とが要求される点で,なかなか人をえにくい仕事である。しかし仲宗根先生の場合,島袋幸子さんという,先生想いの点では人後におちないまことに適任の人をえた点で,先生はとても幸運な方であったといえるのである。しかしその幸運も,先生ご自身のご人徳が招き寄せたものであるということもまた疑いのない事実である。(1997年3月25日)

(うえむら ゆきお:琉球大学名誉教授,沖縄言語研究センター代表,名桜大学教授)

上村幸雄1997「[解題]仲宗根政善先生とその資料について」
(『仲宗根政善言語資料(手稿)目次集』琉球大学附属図書館)より転載
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