・矢内原忠雄先生略年譜
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矢 内 原 忠 雄 先 生 略 年 譜
*この略年譜は「矢内原全集第29巻」及び「矢内原忠雄:
信仰・学問・生涯」より抜粋して作成しました。
1893年(明治26年)
愛媛県越智郡富田村大字松木にて、父・謙一、母・マツエの四男として生ま
れる
父の職業は医師
1898年(明治31年)5歳
富田尋常小学校に仮入学
1902年(明治35年)9歳
河南高等小学校入学
1904年(明治37年)11歳
神戸市立雲中尋常高等小学校高等科3年に転入学
1905年(明治38年)12歳
兵庫県立神戸中学校(後第一神戸中学校と改称)入学
1910年(明治43年)17歳
第一高等学校一部甲類入学(校長は新渡戸稲造)
1913年(大正2年)20歳
東京帝国大学法科大学入学(総長は山川健次郎)
1917年(大正6年)24歳
東京帝国大学法科大学政治学科卒業
住友総本店入社。別子鉱業所勤務。柏会の先輩・黒崎幸吉を中心とするキリ
スト教集会に参加
1920年(大正9年)27歳
住友を退職、新渡戸稲造の後任として東京帝国大学助教授(経済学部)に任
ぜられる。植民政策研究のため満2ケ年間英・独・米(大正11年仏を追加)
へ留学を命じられる
1923年(大正12年)30歳
東京帝国大学教授(経済学部)に任ぜられる
東京帝国大学農学部植民政策講義担当
1924年(大正13年)31歳
第一高等学校「法政及経済」の講義担当
朝鮮・満州調査旅行。(9.30〜10.29)
著作『植民政策講義案』(3分冊)有斐閣
1925年(大正14年)32歳
帝大聖書研究会発足(東京帝国大学に職を奉じる内村鑑三門下生を主とする)
1926年(大正15年)33歳
東京帝国大学社会科学研究会で「金融資本と帝国主義」講演
著作「日本の移植民政策」『エコノミスト』第4年第8号
『植民及び植民政策』有斐閣
1927年(昭和2年)34歳
台湾調査旅行(3.18〜5.6)
1928年(昭和3年)35歳
樺太・北海道調査旅行(8.5〜9.3)
著作『人口問題』岩波書店
1929年(昭和4年)36歳
月末、葉栄鐘と家庭聖書集会を開始(12月より陳茂源参加、昭和7年集会
参加者転任し集会をとじる)
著作「帝国主義化の台湾」岩波書店
1930年(昭和5年)37歳
内村鑑三世を去り、内村鑑三・記念キリスト教講演会で「内村先生対社会主義」
講演
藤井武世を去り、藤井武主筆『旧約と新約』終刊号を編集
塚本虎二と共に藤井武全集刊行会を創設し、刊行に着手。昭和6年2月第1
回配本、昭和7年1月完結。この間、各巻の編集・校正・発送に心血を注ぐ
1931年(昭和6年)38歳
藤井武・記念キリスト教講演会で「真理の敵」講演
拓務講習会で「各国の移民政策」講演(国土館高等拓殖学校)
1932年(昭和7年)39歳
関東軍特務部から満州経営の助言を電報で依頼をうけ、電報で断る
黒崎幸吉キリスト教講演会を主催する
太平洋問題調査会より委任統治地域・南洋群島の研究を委嘱される
満州国調査旅行(8.26〜9.21)
『通信』(学園印刷所)創刊(昭和12年12月まで)
1933年(昭和8年)40歳
内村鑑三・記念キリスト教講演会で講演(3月26日、東京・朝日講堂他)
3月26日の講演聴衆のうち渡部美代治・野津樸の希望を容れ家庭聖書集会
を始める
第1回南洋群島調査旅行(7.3〜9.16)
マリアナ群島、西カロリン群島、カロリン群島、マ−シャル群島、ヤル−
ト島を視察調査
新渡戸稲造・記念講演会で「新渡戸先生を憶ふ」講演
著作「未開土人の人口衰退傾向について」(『国家学雑誌』第47巻5〜6
号)
「南洋委任統治論」(『中央公論』第48年第6号)
「南洋群島の研究」(『帝国大学新聞』第497号)
「民族主義の復興」(『改造』第15巻第11号他)
「南洋群島視察談」(『講演』第55号)
1934年(昭和9年)41歳
第2回南洋群島調査旅行(6.24〜7.31)
主としてヤップ島の実態調査
著作「満州問題」岩波書店
「ヤップ島紀行」(『帝国大学新聞』第539号他)
1935年(昭和10年)42歳
九州帝国大学法学部で植民政策講義
著作「南洋群島民の教育に就て」(丁酉倫理会『倫理講演集』第391号)
『南洋群島の研究』岩波書店
1936年(昭和11年)43歳
北海道・東北講演旅行(8.13〜28)
著作「南洋政策を論ず」(『改造』第18巻第6号)
『民族と平和』岩波書店 『イザヤ書』向山堂書店
1937年(昭和12年)44歳
『中央公論』9月号に「国家の理想」を書く(全文削除処分をうける)
家庭聖書集会有志を連れて「中部・山陰・中国・四国・関西」を講演旅行
藤井武・7周年記念講演会を行い、「神の国」講演
『通信』10月号(講演「神の国」掲載)発禁
東京帝国大学経済学部最終講義
東京帝国大学教授退官の辞令をうける
帝大聖書研究会で「歴史の到達点」講義
著作『帝国主義下の印度』大同書院 『民族と国家』自費出版
1938年(昭和13年)45歳
『嘉信』(学園印刷所)創刊。(昭和36年12月号まで)
帝大聖書研究会を解散
お茶の水・YMCA小講堂で月一回の公開聖書講義開始
家庭聖書集会の信仰同人雑誌『葡萄』創刊。(昭和15年5月8号まで毎月
刊行)藤井武全集再刊
1939年(昭和14年)46歳
土曜学校(昭和22年5月18日まで毎土曜日自宅で講義)開講
アウグスチヌス『告白』講義開始
内村鑑三・記念講演会で「後世への最大遺物」講演
1940年(昭和15年)47歳
内村鑑三・10周年記念講演で「植民政策と基督教」講演
朝鮮講演旅行(8.22〜9.16)。京城キリスト教青年会でロマ書を講
義し、福音が選民ユダヤ人を捨て異邦人に及ぶ摂理を解明して、東洋の選民
日本の滅亡とアジア諸民族の解放を示唆する
1942年(昭和17年)49歳
満州・北支講演旅行(7.4〜8.11)
著作「大東亜戦争と英国植民政策」(『帝国大学新聞』第885号)
「南方労働政策の基調」(『社会政策時報』第260号)
1943年(昭和18年)50歳
土曜学校第2部で矢内原忠雄著『植民及植民政策』講義開始(昭和19年末
まで) 1944年(昭和19年)51歳
『嘉信』、年末を以て廃刊を申し渡される
1945年(昭和20年)52歳
『嘉信会報』第1号刊行。(4〜8号ガリ版刷)
憲兵隊指令部『嘉信会報』1〜6号(特に第3号)を没収
木曽福島の国民学校で「日本精神への反省」講演
松本・広丘国民学校で「平和国家論」講演
東京帝国大学経済学部教授に任じられる
山形市で「日本の運命と使命」講演
1946年(昭和21年)53歳
東京帝国大学で教育制度委員会委員・憲法研究会委員を委嘱される
日曜家庭聖書集会を今井館聖書講堂に移し毎日曜公開聖書講義を行う
帝大聖書研究会を復興し「民主戦線と基督教」講演
東京帝国大学社会科学研究所長に補せられる(昭和24年6月30日まで)
東京帝国大学経済学部で「国際経済論」の講義開始
帝大聖書研究会主催クリスマス講演会で「日本の前途」講演
著作『日本精神と平和国家』岩波書店 『内村鑑三と新渡戸稲造』日産書房
1947年(昭和22年)54歳
東京大学より経済学博士の学位を授けられる
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「平和論と柔和論」講演
著作『マルクス主義と基督教』新教出版社
1948年(昭和23年)55歳
『葡萄』の会員を整理拡大し、『橄欖』創刊。(年2回、昭和32年まで)
内村鑑三・記念講演会で「人の復活と国の復活」講演
東京大学経済学部長に補せられる
著作『帝国主義研究』白日書院
1949年(昭和24年)56歳
日本学術会議会員に就任する
東京大学教養学部長に補せられる
『藤井武選集』刊行
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「講話問題と平和問題」講演
1950年(昭和25年)57歳
内村鑑三・20周年記念講演会で「自由と寛容」講演
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「自由と平和」講演
1951年(昭和26年)58歳
内村鑑三・21周年を記念し今井館聖書講堂で「自由と独立」講演
東京大学総長に選ばれる
1952年(昭和26年)59歳
内村鑑三・記念キリスト教講演会で「日本のゆくえ」講演
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「日本の危機と世界の危機」講演
1953年(昭和28年)60歳
中央教育審議会委員に併任される
選挙制度調査委員会委員に任命される
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「基督教からみた民主主義と共産
主義」講演
著作『日本のゆくえ』東京大学出版会
1954年(昭和29年)61歳
国際経済学会会長に推される
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「終戦後10年」講演
1955年(昭和30年)62歳
エミ−ル・ブルンナ−博士訣別講演会で「日本とキリスト教」講演
東京大学総長に再選される
1956年(昭和31年)63歳
内村鑑三・記念キリスト教講演会で「教育と宗教」講演
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「平和の福音」講演
1957年(昭和32年)64歳
琉球大学と沖縄教職員会との招きで来沖、沖縄本島各地で講演(1.15〜
20)中央教育審議会委員に任命される
1958年(昭和33年)65歳
東京大学名誉教授の称号を授与される
内村鑑三・記念キリスト教講演会で「キリストの福音とキリスト教」講演
『橄欖』を廃刊し、会員を整理拡大して『山鳩』創刊。(年2回、6月・1
2月)
還暦記念論文集(上巻)『古典経済学研究』(岩波書店)刊行される
1959年(昭和34年)66歳
還暦記念論文集(下巻)『帝国主義研究』(岩波書店)刊行される
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「身の安全と国の安全」講演
1960年(昭和35年)67歳
東大聖書研究会主催クリスマス講演会で「日本の民主化は可能であるか」講
演
1961年(昭和36年)68歳
死去
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