・「矢内原忠雄文庫」に学ぶ大学教育の理念
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          「矢内原忠雄文庫」に学ぶ大学教育の理念

                           琉球大学法文学部教授
                                垣花 豊順

  琉大図書館玄関に入って二階左側(下の放送大学からは三階)の閲覧室の一角
 に矢内原先生(以下敬称略)の文庫がある。矢内原文庫が琉大図書館に設置され
 た背景には隠れたエピソードがある。矢内原は東京大学総長在任中の1957年1月
 16日〜20日までの5日間、琉球大学と沖縄教職員会との招きで来沖され、沖縄本
 島の各地で前後7回にわたり講演された。その第一声は、当時首里城跡地にあっ
 た琉大のグランドで行われた「世界、沖縄、琉球大学」と題する講演だった。当
 時沖縄は米国の無期限の統治下にあって人びとは沖縄の前途を憂えた。そのよう
 な状況下にある沖縄において、強者が権力に基づいて弱者を支配することは長年
 は続かないとの確かな歴史観に基づいて、間接的ながら沖縄の将来を示唆する先
 生の講演は沖縄の人びとを勇気づけた。筆者も地べたに座って先生の講演を聞き、
 勇気づけられた一人だった。
  また、「神は人の心に永遠への思いを与えられた(伝導者の書3の11)」との
 人間観に基づく慈愛に満ちた愛楽園(ハンセン氏病患者治療施設)における講演
 は、患者に生きる喜びを与え、人びとの心を癒した。愛楽園から土産として矢内
 原に送られた患者の文芸作品集「こころの花束」には次のような琉歌が詠まれて
 いる。△高さある徳やちぢにかみやびてお情の言葉胸にとめら(高いお徳はちぢ
 (頭)にいただき、御情の御言葉は胸に染めましよう)、△神ともにあゆむ大学
 のあるじ島あげて拝む今日のうりさ(うれしさ)。
  矢内原の講演に勇気づけられたのは大人だけではなかった。講演の内容をよく
 理解できない中学生も矢内原が柔和な表情である時は聴衆を諭すかのように語り
 かけ、ある時は人びとを鼓舞するかのように身を乗り出して獅子吼する姿に感動
 した。池間誠(当時中学生)は1月18日コザ中学校で教職員に対して「戦後の教
 育理念」と題して行われた講演会に出席し、矢内原の「希望に生きよ」との言葉
 に心を打たれた。矢内原に憧憬した池間少年は小樽商大へ進み、一橋大学大学院
 で矢内原と同攻の国際経済学を専攻することになった。国際経済学会に入会した
 池間は間もなく矢内原忠雄の三男で当時慶応大学教授だった勝氏(現在は常葉学
 園浜松大学国際経済学部教授)の知遇を得て研究活動に精励するようになった。
 現在一橋大学経済学部学部長の重職にある池間は「勝教授は忠雄先生と風貌がそ
 っくりなので、近親感を感じて親しくなり教えを受けるようになった」と語って
 おられる。矢内原忠雄が昇天した後、蔵書は東京大学、国際キリスト教大学、慶
 應義塾大学に寄贈された。池間は、矢内原の息吹を沖縄に残したいと念じて、な
 お残っている矢内原の蔵書等を琉大図書館へ寄贈することを勝氏に提案した。勝
 氏は矢内原が沖縄に対して深い関心をもっていたことや沖縄の地理的・歴史的背
 景に照らして、南洋群島調査資料を主体とし、図書と直筆原稿等を寄贈すること
 にした。小樽商大で池間と一緒に学んだ宮城準(琉球セメント専務)は本を搬入
 するための資金を援助し、小樽商大、一橋大で池間の1年先輩の富永斉(琉大法
 文学部教授)が本の受入れに伴う雑務を処理して、矢内原文庫の設置は実現した。
 今回、勝氏によって植民政策に関する蔵書やノートが追加寄贈され、矢内原文庫
 は益々充実されることになった。
  このように見てくると、矢内原文庫は矢内原の講演で啓発された一人の中学生
 の夢が長年月を経て現実化したことになる。矢内原の沖縄滞在は僅か5日間であ
 るが、確かな歴史観に基づいて沖縄の進路を示唆し、個人を外形の体だけでなく
 目で見えない心と霊の宿った存在と見る人間観に基づいてハンセン氏病患者の心
 を癒し、一般の人びとを勇気づけ、池間少年のように決定的な影響を受けた人も
 いる。大学における一般教育の本来の目的は雑多な知識を授けることよりも確か
 な人間観、歴史観、宇宙観に基づいて、個人、社会、国家において起こる諸もろ
 の事象に対して誤りなく対処する判断力と、その判断力に基づいて自ら又は専門
 家の能力を借りて実行に移す知慧を培うことである。この観点から考えると、矢
 内原の7回の講演は一般教育のモデルだと考えられる。大学改革に伴うカリキュ
 ラムの編成について助言を得るために招いた東京家政学院学長の河野重雄は、カ
 リキュラム編成の指針(大学教育の目的)として、(1) 地球市民としての心を育
 てる、(2) 異文化に対して開かれた寛容の心を培う、(3) 頭だけでなく手で考え
 る教育−読む書くだけでなくて勤労する教育を挙げているが、矢内原の講演はそ
 の全てを包含しているからである。
  オウム真理教幹部等による無差別殺人、拉致事件は不気味で常識では考えられ
 ない犯行である。犯行の計画・実行者の多くがエリート大学の理科系学部や大学
 院で現代科学の先端を研究した者であることに人びとは驚き、大学における教育
 のあり方に疑問を投げかけている。朝日新聞の編集委員山岸駿介は5月8日の朝
 刊でこの問題をとりあげ、一般教育の学習量を減らす昨今の大学のカリキュラム
 の改革は逆行しているのではないか、と批判している。この問題については以前
 から琉大教授職員会、法文学部の教授会でも取り上げられ、琉大のカリキュラム
 の問題点も指摘された。今回の大学改革の弱点は大学卒業に必要な一般教育の単
 位数を従来の約3分の1に減じたこともさることながら、専門教育をふくめたカ
 リキュラム編成の背後に確かな人間観、歴史観、宇宙観等が見えないことである。
 戦前の教育は教育勅語に基づいて行われ、天皇を現人神として崇拝し、専門教育
 も国民を天皇の忠実な臣民にするために行われた。
  矢内原は東大在学中にH教授の民法の講義を3年間、M教授の財政学の講義を
 2年間受講し、その講義内容にウンザリして大学教授を軽蔑するようになった、
 と述懐している。ウンザリした理由については述べていないが、天皇を現人神と
 した条文の解釈学と財政論に終始した講義内容にウンザリしたものと考えられる。
 矢内原は高等学校で新渡戸稲造から「人間とは何か」ということについて真剣に
 考える教育を受け、元来は動物学者である内村鑑三の聖書研究会で宗教と科学と
 の関係について勉強し、宇宙の秩序は神が人類に平和をあらしめるために創造し
 統御して歴史を進展させるとの宇宙観、歴史観を勉強して大学の講義を批判的に
 見る目を培っていた。そのような宇宙観、歴史観について考えることを教えられ
 なかった多くの人びとは自国の教育、政策を客観的に見る目を失い、異文化を排
 斥し、軍国主義・ファショズムへの道を歩んだ。換言すると普遍的な人間観、歴
 史観、宇宙観について考えることを禁じた教育が第二次世界大戦の遠因となり、
 個人、社会、国家に悲惨な戦禍をもたらした。敗戦後、天皇は人間宣言を行い、
 教育の理念は個人の尊厳を重んじ、真理を探究し、平和国家を築くことに変わっ
 た(教育基本法)。この激変でそれまでの多くの指導者は思想的に混乱し、悲劇
 が起こった。矢内原が国家の理想は正義と平和の建設にあることを論じた論文
 「国家の理想」(中央公論昭12年9月)を執拗に攻撃して矢内原を東大から追放
 することを煽動した蓑田胸喜が戦後首つり自殺したことはその一例である。 19
 36年(昭11年)2月26日、一部の軍人が叛乱したいわゆる2・26事件が起こった
 時、矢内原は、日本の進路とその結末が悲劇をもたらすことを予見して、ドイツ
 留学時代にたくわえた鼻下の髭を剃り落とし、「誰人をうたんとはせし砲兵か帰
 るをみれば涙したぎる」との歌を詠んで日本の行く末を悲しんだ。翌年37年、時
 の東大土方経済学部長が前記の「国家の理想」と題する論文を教授会でとりあげ、
 教授会の大多数もかかる論文の執筆者は大学教授として適格性を欠くとの学部長
 の提案に賛成した。少数の良心的な教授は矢内原を熱心に擁護したが、矢内原は
 東大に留まるとこれらの少数派が辞職に追い込まれることを案じて自ら辞職した。
 終講の辞で矢内原は学生に対し「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。
 諸君はそのような人間にならないように……」との言葉を残して大学を去った。
  大学を辞めた矢内原は個人誌「嘉信」を発行して平和を訴え、慣れない手付き
 で庭を耕し野菜や芋を植えて糊口を補う生活をしていた。八年後矢内原は三顧の
 礼をもって東大経済学部に迎えられ「真理は必ず勝つ」ことを実感として味わっ
 た。
  一般教育として自然、人文、社会の三分野にわたって学習量を増やすことは専
 門知識に片寄らない健全で総合的な判断力と実行力を培うのに必要である。しか
 し、普遍的な人間観、歴史観、宇宙観に基づかないで百科辞典のように項目別に
 分類した雑多な知識を注入するだけの一般教育は、クイズ番組に出場するための
 物知りを育てるだけであまり役に立たない。専門教育も例えば自然科学でケプラ
 ーの法則の一つとして「地球は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を自転・公転し
 ている」との事実を教えるだけでは物事を適正に判断するのに役立たない。地球
 上に在る鉱・植・動物は相互依存、循環、共生の理によって永続しているが、そ
 の背後には神がつくりケプラーの発見した三つの法則が統御し、万物を生かして
 いることに目を向けさせないと自然科学上の知識、技術は自然を破壊し、戦争の
 道具に利用される。社会科学上の知識も、例えば憲法の三原則は国民主権主義、
 基本的人権尊重主義、永久平和主義であることを教えても、それが人のつくった
 法律上の知識として教えられるだけでは底が浅い。それらの三原則は 人の及ば
 ない宇宙の秩序に根ざすものであることを意識して研究し、教えないと憲法は時
 の権力者によって都合のよいように改変されることになる。
  宇宙の真理を教えるのが本来の宗教の役割で、宗教なしには人類は過去を反省
 し、現在を注視し、未来に希望を見いだすことはできない。人類の長年の歴史的
 批判に耐えてきた宗教の教えには、宗派を問わずオウム真理教がやっているよう
 な殺人と破壊の教えは存在しない。大学における教育と研究は宗教的真理に根ざ
 して実践されるとき、その効果は増強される。矢内原の歩んだ道はそのことを教
 えている。

             (琉球大学図書館報 Vol.28 No.3 July 1995 より)

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