文献資料にみる琉球・沖縄 inうるま市

高良 倉吉(琉球大学附属図書館長・法文学部教授)
沖縄本島中部の東岸に立地し、太平洋に向き合ううるま市は具志川市、石川市、勝連町、与那城町が合併してできた新しい行政単位である。琉球王国時代の行政単位名で言うと具志川間切、勝連間切、与那城間切、そして美里間切の一部(旧石川市)に相当する。与勝半島(別名:勝連半島)という独特な地形を有し、その地先には平安座・宮城・伊計・浜比嘉・津堅・藪地などの島々が点在する。畑作を中心とする農業地帯であったが、平安座や浜比嘉などの住民は優れた航海術を活かし、北は奄美から南は八重山の海域に展開する海運業を営んだ時期もあった。うるま市にはまた、世界遺産である勝連城跡を始め伊波城跡、安慶名城跡、具志川城跡などのグスクも存在しており、古琉球の歴史を考えるうえで重要な地域でもある。
 沖縄戦(1945年)後のアメリカ統治時代において、うるま市の範囲は大きく変貌した。沖縄本島南部で過酷な戦闘が続いていた頃、旧石川市を中心にこの地区ではすでに戦後がスタートしていた。各地にアメリカ軍の基地や施設が建設され、激動の戦後復興が始まった。旧具志川市の金武湾では、そこに集住していた住民たちの手で戦後文化も力強く立ち上がった。このように、うるま市は戦後沖縄を語るうえできわめて重要な地域でもある。  
 そのような歴史を刻む地域の拠点的文化施設の一つであるうるま市立中央図書館と連携して、琉球大学附属図書館は今年度の貴重書展をうるま市で開催することになった。1950年の琉大開学以来、歴代の図書館職員を中心に熱心に取り組んできた沖縄関係資料収集事業の成果の一端を、是非市民や県民の皆さんに見ていただこうと思ったのである。
 現存する琉球古典音楽の最古の楽譜「屋嘉比工工四」、オモロ研究の代表的なテキストの一つ「仲吉本おもろさうし」、王国末期にキリスト教布教のため8年間も滞在した英人ベッテルハイムの「手稿日記」、豪華な接待料理を記した「祭之時膳符日記」、日本統治下の南洋(ミクロネシア)の状況を伝える矢内原忠雄コレクション、そして琉球の人物や風俗を描いた絵画など多彩な貴重書が公開される。いずれも琉大附属図書の特別室で大事に保管されており、目にする機会が限られているものばかりである。この機会を利用して是非会場に足を運び、ご覧いただきたいと思う。
 なお、首里城跡を利用して開学した琉球大学の初代学長は志喜屋孝信(1884~1955年)であり、彼は旧具志川市宮里の出身だった。そして、附属図書館は彼の業績を讃え、「志喜屋記念図書館」と通称された。志喜屋元学長の出身地で開催される今年度の貴重書展はその意味で、少しばかり感慨深いものがある。                    
2012年10月

展示資料

りゅうきゅうふうぞくえず

琉球風俗絵図

按司之婦子 摂政三司官 士族の妻子や商売をする婦人、糸満の漁業民、宜野湾大山の苺売り、子豚を売る民、摂政と三司官、婚礼の様子など、17景が描かれている。
髪型や衣服・持ち物など琉球王国末期から明治中期頃までの沖縄の風俗が鮮明にとらえられている。
那覇の若狭町に生まれ風俗画を得意とした比嘉華山(1868~1939年、本名:比嘉盛清)が描いたとされるが、正確な作者・製作年代などの詳細は不明。

 

琉球大学附属図書館
やかびくんくんしー

屋嘉比工工四

屋嘉比工工四 伊波普猷文庫 沖縄県指定文化財 屋嘉比朝寄が編んだ琉球古典音楽の楽譜と言われる、117曲を収録。
屋嘉比は中国の楽譜を参考に三味線の記譜法(工工四)を考案し、それまで口承で伝えられてきた琉球音楽を集成した。本書はその原本。真境名安興から伊波普猷に渡り、琉球大学附属図書館に収められた。

 

 

琉球大学附属図書館

うらそえけぼんいせものがたり

浦添家本伊勢物語

浦添家本伊勢物語島袋源七文庫 沖縄県指定文化財 「伊勢物語」は在原業平に擬せられる色好みの男の一代記風の物語で、男女の情事を中心に風流な生活を125話にまとめている。
後書きによって肖柏本の系統であることが分かる。 尚育王の摂政だった浦添王子朝熹の旧蔵と伝える。朝熹は琉歌・和歌の歌人としても知られており、当時「伊勢物語」は歌人の間では必読の歌書だった。

 

 

池宮正治

おんがぼん・おろくどぅんちぼんくみおどりしゅう

恩河本・小禄殿内本組踊集

恩河本・小禄殿内本組踊集 小禄御殿に伝わる組踊集を恩河朝祐が筆写した組踊集。冒頭に収録作品目録、その裏に「明治三十一年五月十七日 波上祭より帰りこれを録す 朝祐」とある。本文は漢字カタカナ書きで改行されずに続けて書かれ、唱えの区切りに朱で丸印が付されている。「二童敵討」「大川敵討」「姉妹敵討」「忠臣身替之巻」「花売之縁」「孝女布晒」「屋慶名大主敵討」など23作品を集録。「忠臣身替之巻」は、忠臣亀千代が、命を狙われている主君玉村の若按司の身替わりとなって敵の八重瀬の按司に降り、隙をねらって敵を討つというもの。劇中の「道行口説」に、玉村按司の頭役であった波平大主が、若按司が匿われている勝連へと向かう道中の風景が描かれている。

前城淳子

きこえおおきみうどぅんならびにうぐすくおきしきのおしだい

聞得大君御殿并御城御規式之御次第

聞得大君御殿并御城御規式之御次第  琉球の最高神女職=聞得大君による儀礼の概要を記した文書である。
  内容は次のとおり。
・ 第一は聞得大君の御殿(うどぅん:邸宅)において執行される正月元日、2月・5月の御祭りや麦初種子の儀式、琉球国中の各家庭での火災予防の立願儀礼(2月)等の執行について。
・第二は簡略ながら聞得大君の就任儀礼である「御新下り(おあらおり)」について。
・ 第三は「御城御規式の次第」=首里城内での聞得大君の儀礼について。
・ 第四は神話上の五穀伝来と久高島との関わりについて。
・ 第五は、聞得大君が神へ祈願する際の言葉である「御たかへ」について。
・第六は首里城正殿前の御庭で執行された中国・日本・両先島へ渡航する使者・役人らの渡海安全儀礼について。聞得大君の儀礼を把握する上で重要な文書である。

琉球大学附属図書館

なかよしぼん  おもろそうし

仲吉本『おもろさうし』

仲吉本『おもろさうし』 奄美・沖縄諸島に伝えられた儀礼歌謡「オモロ」を集めた歌謡集。首里王府が編纂し、嘉靖10(1531)年から天啓3(1623)年の間に成立。全22巻、1554首のオモロを収める。1710年に再編された際に二部作成され、尚家とおもろ主取家である安仁屋家に伝えられたため、尚家本と安仁屋本系統とに別れる。仲吉本は仲吉朝助が所有していた安仁屋本系統の写本である。巻十六の「勝連具志川おもろの御さうし」に、「かつれん(勝連)」「ひやむざ(平安座)」「みやくすく(宮城)」「くしかわ(具志川)」「ゑす(江洲)」「てくらん(天願)」「あけなわ(安慶名)」「おきん(宇堅)」などの地名が見られる。         

前城淳子

りゅうかひゃっこう

琉歌百控

琉歌百控 最も古い琉歌集。三味線歌謡としての琉歌を集大成したもの。上編 琉球百控乾柔節流、中編 琉球百控独節流、下編琉球百控覧節流の3編からなり全601首を収める。 各巻末に書写年が記され、上編1795年、中編琉歌1798年、下編1802年とある。上中編は1首2行書、下編は1行書である。各編とも20段に分かれ、それぞれ〈部〉あるいは〈節〉〈物〉がつき、各段5段(1節2首)という構成。「乾柔節流」では1節の2首が同内容というものが多く、194首。「独節流」「覧節流」は初頭の語句が同一になっており、それぞれ203首、204首。また「覧節流」には作者名の記されたものもある。真境名安興旧蔵。      

前城淳子

りゅうきゅうこくちゅうひぶんき

琉球国中碑文記

琉球国中碑文記 琉球王国時代に編集された碑文の文面や冊封使が書いた題字などを集めた記録。歴史編集事業の補助史料として作成されたと見られ、首里・那覇を中心に点在する琉球の主要な碑文をほぼ網羅的に写している。「碑文記」(尚家本)、「碑文記全」(東恩納甲本・乙本の2種)などの異本があり、展示されているのは「伊波本」の名で通称される伊波普猷文庫の蔵本である。散逸または摩滅した碑文の研究に不可欠な史料であり、「たまおとんのひもん」や「重修真玉橋碑文」が収録されている。見開きは「重修真玉橋碑文」の冒頭である。

高良倉吉

いろうせつでん

遺老説伝

遺老説伝02 遺老説伝01 説話集。正史『球陽』の付巻として1745年成立。鄭秉哲ら編。本来4冊だが第三巻1冊を欠いている。概略尚家本「遺老説伝」に近いが「三司官之印」の朱印が認められ、尚家本の上位にある原本とおもわれる。「原本」は琉球関係資料としては極めて珍しいものである。「遺老説伝」というのは、本編には収められない古老の伝説を集める意で、全体で141話が収められている。 

 

 

池宮正治

             しゅこうにっき

ベッテルハイム手稿日記

DR.BERNARD JEAN BETTELHEIM DOCUMENTS


ベッテルハイム手稿日記01ベッテルハイム手稿日記02


贈者:John A. Swearingen

日本初のプロテスタントの宣教師ベッテルハイム(Bernard Jean Bettelheim 1811.6.16-1870.2.9)の日記と書簡。ベッテルハイムは八年間に渡る那覇滞在中、日記類をカーボン紙を用いて二部作成し、一部をロンドンにある琉球伝道会へ送り、一部は手元に保存した。彼の日記と書簡集は、19世紀後半の自宅の火事で大半が焼失している。当館では、すでに1970年代において焼失を免れた原史料五冊の寄贈を受けていたが、今回、新たに日記3点を含む資料がアメリカ在住のスウェアリンゲン氏より寄贈された。本資料の内容については、『沖縄県史』の資料編21および22において翻刻が掲載されている。 

琉球大学附属図書館

      ていとくにほんえんせいき

ペリー提督日本遠征記

遺老説伝02遺老説伝02


日本との条約締結を目的としたペリー提督率いるアメリカ艦隊の航海日記(全3巻)で、1856年から第1巻より順次出版された。第1巻が〈本記〉、第2・3巻は付録で、第2巻は自然科学および各種の報告からなり、第3巻は天文学上の観測路図となっている。第1巻25章のうち7章が琉球の記述に充てられている。第7章から11章では、最初の琉球訪問の際の島内探検調査、首里城訪問、琉球社会の観察などが記録されている。第15章では江戸からの帰途訪れた琉球での貯炭庫の確保、米兵の自由行動などの交渉について、また第25章では条約締結後の米水兵殺害事件(ボード事件)や琉米修好条約の事情について記されている。さらに、琉球の産業・医学・地誌などの5編の報告(第2巻)や、琉球の風物人物に関する大小48点の挿絵があり、きわめて貴重な資料だといえる。

琉球大学附属図書館

ちゅうざんしぶんしゅう

中山詩文集

中山詩文集01中山詩文集02 木版。程順則の六世孫程徳裕の序に「咸豊丙辰仲冬」(1856年)とあることから、文献学的に咸豊六年序重刻本として扱う。『中山詩文集』は1725年、中国の福州にてはじめて刊刻された琉球最初の漢詩文集の総集で、琉球漢文学において重要な意義を持つ。  『中山詩文集』は冒頭に尚貞王の冊封使を送る序を置き、琉球王族の作品、中国からの使者の作品、久米村人士の作品および福州における程順則の師友の作品が収録される。特に北京との往復に詠った詩を記録する『雪堂燕游草』など、編者程順則の詩文が中心的な地位を占める。

 

紺野達也

しつもんほんぞう

質問本草

質問本草01質問本草02 琉球から薩摩にまたがる地域に生育する草木をイラスト入りで紹介し、それが医療的にどのような効果(薬効)があるかについて解説した書物。内編・外編が各4巻で計8巻、それに付録がついている。草木の薬効を考える学問を本草学(ほんぞうがく)という。中国の本草学の知識をふまえており、近世日本における本草学を代表する書物と評価されている。  著者の「呉子善(ごしぜん)」(呉継志ともいう)は琉球人で、薩摩藩主の質問に答えるスタイルで述べられている。1785年から編集作業は始まったが、薩摩で刊行されたのは天保8(1837)年のことである。

高良倉吉

りゅうきゅうばんろんご

琉球版論語

琉球版論語 木版。出版者・出版年ともに未詳。南宋・朱熹(朱子)が論語の旧注を集めた『論語集注』である。朱子学は儒教経典の『大学』『中庸』『論語』『孟子』を「四書」として尊重し、琉球でも1632年以降、南浦文之の文之点『四書集注』(底本は明末刊の大魁本『四書集註』)が重視された。  同じく大魁本『四書集註』の系統の本書は、福建で彫られた版木を用い、琉球で印刷したものと推定される。戦前に沖縄の和漢籍を調査した武藤長平の旧蔵で、1964年、ほぼ半世紀ぶりに沖縄に戻り、琉球大学附属図書館に寄贈された。

紺野達也

りゅうきゅうばんだいがく

琉球版大学

琉球版大学 木版。出版者・出版年ともに未詳。『大学』はもともと、「中庸」とともに儒教の経典「五経」の一つ、『礼記』の一篇である。後に南宋・朱熹(朱子)が独立させ、『論語』『孟子』とともに「四書」として尊重し、特に「修身斉家治国平天下」などの「三綱領八條目」が知られる。本書はその朱熹が注を施した『大学章句』である。  版面が『琉球版論語』と酷似しており、『琉球版四書』の一つと考えられている。『大学』は琉球においても重視されて普及し、国学の教科書としても用いられた。

紺野達也

しょうがく

小学

小学 中国宋代に朱熹(朱子)の門人劉子澄らによって、中国古典から日常の礼儀作法や格言・善行、逸話などを集め、編集された修身作法の書。全6巻。展示資料は、中国明代、陳選による注釈本『小學句讀』に、江戸時代の漢学者中村之鈞(号は惕齋、1629~1702年)が訓点を付して刊行された和刻本(1721年刊)が琉球に伝わり、その後、琉球もしくは中国福建省で新たに開板(出版)され、琉球で印刷されたテキスト、琉球版漢籍と考えられる。小學は、琉球王国時代から近代初期にかけて士族の子弟教育や村学校などで初学者の教科書として使用されていた。

榮野川敦

とうえいりんうじこんいんかれい

唐栄林氏婚姻家禮

唐栄林氏婚姻家禮02唐栄林氏婚姻家禮01


久米村の紫金大夫の職にあった林文海が、林家の婚姻に関する儀礼をまとめたもので、王国時代の久米村における婚姻の「議婚」「納幣」「親迎」について記している。「議婚」とは仲人を介した婚姻の相談、「納幣」は結納、そして「親迎」は結婚当日に嫁を迎えることで、結婚に至るまでの種々儀礼を詳細に記している。中国の婚姻同様に「同姓不婚」を明記し、また中国の婚姻を例として引くなど、中国の影響を強く受けた久米村社会の婚姻の様相が窺い知れる。該文書は咸豊10(1860)年9月に撰述されたものを昭和3(1928)年に抄録した写本。

赤嶺守

さいうじぐしちゃんうぇーかたぶんじゃくあんぶん

蔡氏具志頭親方文若案文

唐栄林氏婚姻家禮02唐栄林氏婚姻家禮01


蔡温(1682~1761年)の「自叙伝」に同じ。本書は冒頭の数丁を欠く。16歳の頃、小橋川仁屋に罵倒され勉学に奮起する契機となった一件から始まる。進貢存留役で福州に渡り、同地で湖広の隠者と出会い学問の「秘旨」を伝授されて実学に目覚めたこと、長史・正議大夫役へ昇進とその功績、尚敬王の師匠役となったこと、特に1719年に来航した冊封使(海宝・徐葆光)一行への対応で苦慮した「評価事件」(冊封使節団の積載商品の買上をめぐるトラブル)での八面六臂の活躍を詳記する。蔡温の人物像を知る上で貴重な史料である。

豊見山和行

ふくせい

服制

服制 松茂氏當宗(まつもしとうそう)によって光緒6(1880)年に筆写され、翌年製本された史料。『服制』とはもともと、王府の評定所によって1725年に定められ、1737年に改定された葬礼・忌服などに関する諸規定である。本史料では上部に『文公家礼』『大清律』などからの注釈が施されている。また、史料末尾には頭以下百姓までの葬礼儀礼についての規定が付されている。

 

琉球大学附属図書館

まつりのときぜんぷにっき

祭之時膳符日記

祭之時膳符日記02祭之時膳符日記01


宮良殿内で執り行なわれた家庭祭祀を詳細に記録したもので、その行事の礼式(守るべきこと、しきたり等)や手順、供物、献立構成、料理や材料の他に、使用した食素材の明細、費用などが書き記されている。素材や料理には八重山の特色があるが、霊供盆や供物、献立構成に日本の精進料理の影響を見ることができる。招待客の氏名、人数も記され、当時の八重山の行事の様子をかい間見ることができる。宮良殿内の約40年にもわたる祭祀の献立記録は、近世の琉球料理研究にとどまらず、食生活の変遷、食文化史の研究にも貴重な資料である。

琉球大学附属図書館

おきなわけんかくじかたまぎりげちやくけんじゃせいめいぼ

沖縄県各地方間切下知役検者姓名簿

沖縄県各地方間切下知役検者姓名簿 沖縄島の各間切に配置された検者・下知役を列挙した名簿。沖縄県の原稿用紙の使用から王国時代末期頃の名簿の写しか。間切検者の早い記録は1736年から見られる。検者・下知役は間切行政を立て直すため、王府から派遣された臨時役人のこと。本名簿では、美里間切の下知役は名護筑登之親雲上、検者は上与那原筑登之親雲上、具志川間切は下知役・森永筑登之親雲上、検者・新垣筑登之親雲上、勝連間切は下知役・豊村親雲上、検者・饒波筑登之親雲上、与那城間切は下知役・名嘉原里之子親雲上、検者・友寄筑登之親雲上である。

 

豊見山和行

おきなわけんかくちょうそんあざならびにやーどぅいしらべ

沖縄県各町村字并屋取調

沖縄県各町村字并屋取調02沖縄県各町村字并屋取調01


大正14(1925)年に各学校の校長・教員が沖縄県庁学務課の島袋源一郎(今帰仁村出身)宛に提出した報告書の綴り。沖縄県の各町村の字(かつての村)と屋取(方言でヤードゥイ)を一覧できるもので、沖縄研究の父伊波普猷の有名な論文「沖縄県下のヤドリ」(1926年)の基礎資料となった。屋取とは首里・那覇などの都市にいた士族層が農村に移住して形成した居住地のこと。具志川村の項目には具志川(364戸)、田場(203戸)、赤野(146戸)、宇堅(185戸)、天願(241戸)、昆布(170戸)、栄野比(130戸)、川崎(99戸)、西原(96戸)、安慶名(201戸)等の字名が戸数とともに記されている。

高良倉吉

くじちょううつし

公事帳写

公事帳写  1839年、与那城間切伊計村御殿御供である新屋小乃比嘉にやが筆写した公事帳と考えることができる。ちなみに比嘉にやの役職は文子が消され、御供となっている。比嘉にやは間切の下級役人である文子(書記)を勤めた後、与那城間切の按司地頭の首里の家に筆算稽古のために奉公する御殿御供となったようである。
 公事帳とは、間切番所に備えられた行政規定文書である。公事帳が首里王府によって定められ、間切に配布されたのは1735年のことである。公事帳の内容は儀式、上納、札改め(人数調査)などの点は間切の間で差異はない。しかし、海があるか、山が多いかなど、間切の個性によって若干の違いがある。本資料は、筆写者が上記の比嘉にやであることから、与那城間切の公事帳と想定できる。この公事帳の特徴は海にある。たとえば1749年達せられた漂着に関する規定(漂着した場合や漂着された場合)、1776年鯨等の処理の仕方に関する規則が付け加えられている。
  なお、本資料は与那城間切公事帳として完全なものではなく、途中と最後が欠落している。

里井洋一

しあけちしらべつづり

仕明地調綴

仕明地調綴 羽地番所が主体となって、同間切内の各村における私有地(仕明地)の所持状態を調査したもの。真喜屋村、済井出村、稲嶺村、我部祖河村、饒辺名村などの各個人から個別に所持状況を報告させ、それらを松田実助が取りまとめている。王国時代の土地共有制の状態から近代的私有制への転換を示す文書である。

 

 

里井洋一

くめぐしかわまぎりたかたもとだてちょう(こうぎちょう に)

久米具志川間切田方本立帳(公義帳(二))

久米具志川間切田方本立帳02久米具志川間切田方本立帳01


年代は1747年と推定。内題は、「久米具志川間切上江洲・山里村・仲地村・嘉手苅村・具志川村・西目村・仲村渠村・大田村・兼城村田方取納帳」とある。この文書から、本立帳と取納帳が同一であり、年貢徴収の基本台帳の原本(取納座印があり、唯一の現存文書)として貴重である。乾隆検地(1736~1751年)時のもので、王府取納座から間切へ徴収すべき各村の徴収石高が布達され、この台帳に従って田方の年貢が徴収されていた。畠方の分は欠けている。王府の年貢徴収方法を知る上での重要文書である。なお、「公義帳(二)」に合冊されているが、本来は別文書である。

豊見山和行

おぼえ(かいたいとどけ)

覚(懐胎届)

かいたいほうこくしょ

懐胎報告書

覚(懐胎届) 懐胎報告書

丑年十二月十六日に白保村担当役人である真謝与人、白保目差大浜にやから報告された一連の出産に関する文書である。一枚目は白保村大山やなびが熱病にかかり流産(小産)したことを報告したもの。二枚目は、すて盛屋やかまとと大浜やまかなしが懐胎したことを報告したもの。三枚目は8人の女性が女子5人、男子3人出産を報告したものである。
 八重山における1771年の津波以来の人口減少に対して、子どもの出産状況を把握していたことがわかる文書である。12月だけで、8人が出産し、1人が流産していたわけだが、単純に毎月同じ状況ならば、白保村で96人の子どもが生まれていたことになる。資料にもあるように高熱がでるマラリア等の猛威がある中で何人の子どもが成人となったのかが問題となる。

里井洋一

はらただゆきおきなわかんれんじれいしょよりじしょくねがいとう

原忠順沖縄関連辞令書より辞職願等

辞職願等 原忠順(1834~1894年)は現在の佐賀県の生まれ。主君として仕えた鍋島藩(佐賀藩)の藩主・鍋島直彬が初代の沖縄県知事(当時は県令と呼んだ)となったため、随行し県職員となった。「太政官」の朱印が押された辞令書は、明治12(1879)年4月5日付で彼が「沖縄県少書記官」に任命されたときのもの。琉球処分=沖縄県設置の直後の時点である。印のない辞令書は明治14年9月29日付で「沖縄県大書記官」の職を辞したときのもの(彼は少書記官から大書記官へと昇任していた)。「辞職願」のタイトルで始まる文書は明治14年9月24日付のもので、沖縄の気候風土に馴染めず体調が思わしくないので辞職したい、という趣旨が述べられている。

高良倉吉

きゅうあん

球案

球案02球案01


年琉球の所属問題に関する報告資料。外務省の専用紙が使用されていることから、外務省内部で作成されたものと思われる。参考資料から判断して、作成時期は昭和初期であろう。「一 琉球の日支両屬」、「二 琉球処分」、「三 日清の交渉」、「四 伊犂問題」、「五 清国側の破約」といった構成内容で、日中における琉球の所属に関する 認識や琉球の帰属問題交渉の経緯などが概略的に記されている。校正箇所が幾つか見られることから、おそらく提出された完成稿ではない。

琉球大学附属図書館

しょまぎり

諸間切のろくもいのおもり

諸間切のろくもいのおもり 田島利三郎が編集した琉球の歌謡集。「各間切のろくもいのおもろ」「咸豊十一年庚申御神事おもり帳」「御たかべの言葉」「晩のさくりの番うたひ」「瓦屋節短歌」「中城若松の頌歌」からなる。田島が琉球文学研究のために収集した「語学材料」の一つで、明治28(1895)年に成立したと思われる。「各間切のろくもいのおもろ」にはウムイを、久志、金武、本部、大宜味、国頭、恩納、越来、具志川、勝連、与那城の各間切ごと、ノロごとに配列し全部で99首、「御たかべの言葉」には勝連、与那城のオタカベが5首収録されている。祭祀の中でノロによって歌われる歌や唱えの言葉を数多く収録している。

前城淳子

おんいんたいけい    おんいんちょうさしりょうちゅうほくぶ

音韻体系Ⅱ(その2)-音韻調査資料

音韻体系Ⅱ01音韻体系Ⅱ02 仲宗根政善が各地の方言を調査した際の資料を纏めたもの。「音韻体系Ⅰ-音韻調査資料(北部)と同じく、調査ノート、調査票、調査結果を一覧表などにまとめたものが、地点ごとにまとめられている。調査ノートの日付から、1961年5月に恩納村の恩納と名嘉真、6月に大宜味村津波、8月に国頭村与那、1966年5月に国頭村与那、6月に名護市屋部、1970年3月に金武村屋嘉の調査を行ったことがわかる。音韻、アクセントともに、きわめて精緻な調査がなされており、沖縄北部方言の資料として貴重なものとなっている。

 

前城淳子

なんようぐんとうこくごとくほん ほんかよう まきいち

南洋群島国語読本
本科用 巻一

なんようぐんとうりょこうにっき

南洋群島旅行日記

南洋群島国語読本 南洋群島旅行日記02 南洋群島旅行日記01

矢内原忠雄(1893~1961年)は、戦前の東京大学で日本の植民地政策を研究した経済学者である。日中戦争の開戦に反対したため、弾圧を受け職を追われたが、戦後は復職して国際関係論の分野を切り開き、東大総長として教育にも尽力した。1957年には沖縄を訪れ、その現状を「軍事植民地」と批判した。
 琉球大学は1987年と1995年にご子息の勝氏から矢内原の旧蔵資料の寄贈をうけ、矢内原忠雄文庫として所蔵している。そのなかには、矢内原が南洋群島で調査を行った際のさまざまな資料が含まれている。サイパン島、テニアン島、ヤップ島など現在のミクロネシアにあたる南洋群島は、1919年から1945年まで日本の統治下にあり、沖縄の人々が数多く移民した地域であった。調査の成果である『南洋群島の研究』(1935)は、実証的な研究として今日も高く評価されている。
 『南洋群島国語読本』は、現地の人々に対する日本語教育のため日本政府(南洋庁)が作った教科書である。現地での暮らしも、題材に取り上げられている。
 「南洋群島旅行日記」はサイパン島、テニアン島への調査旅行(1933年)に際して矢内原が記した日記である。矢内原は、現地までの船に同乗した沖縄の人々の多さに注目している。

塩出浩之

みさとそんいーほーじんかいじゅっしゅうねんきねんし

美里村上方人會拾周年記念誌

美里村上方人會拾周年記念誌02 美里村上方人會拾周年記念誌01


ハワイ在住の美里村(現在の沖縄市と旧石川市の一部)出身者の会が創立10周年を迎えたのを機会に発行されたもの。発行者はホノルル在住だが、当時那覇に滞在しており、印刷も那覇の向春商会印刷部で行われている。大人の会員だけでなく小学生の作文や家族写真も収録されており、絆の強さをうかがわせるが、会員の中には記念誌発行を拒否する方もあると編集後記に書かれているのが興味深い。

琉球大学附属図書館

ウルマ

ウルマ02 ウルマ01


ハワイ在住の沖縄出身者が結成したウルマ青年会が発行したガリ版刷りの文集で、全112ページ。ハワイでの人生に対する決意や沖縄出身であることの誇りを語った随想や会員近況の合間に、沖縄出身者が経営する様々な商店の広告が入っている。

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はわい にほんじん

布哇の日本人よ

美里村上方人會拾周年記念誌02 美里村上方人會拾周年記念誌01


日米開戦の不安が広がる中で、日米関係およびハワイの日本人の進むべき道を論じた小冊子。
巻末に英文附録「愛する日系市民に與ふる書(To the American Citizens of Japanese Descent)」を付す。

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はたおりほう   せんしょくこうぎ

機織法 | 染織講義

機織法 染織講義


『機織法』は與儀喜憲・泉川澄の共編による教科書、『染色講義』は安谷屋正量による教科書。どちらも昭和13年頃の沖縄県立女子工芸学校(後の沖縄県立首里高等女学校)で使用されたと考えられる。『機織法』は全六編各章、『染色講義』は全八篇各章からなり、内容は明治後半~昭和初期頃にかけて全国的に設立された実業学校・工業指導所のテキストの内容にほぼ同じである。

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文献資料にみる琉球・沖縄 inうるま市

主催:琉球大学附属図書館
共催:うるま市立中央図書館
期間:平成24年10月16日~10月24日
場所:うるま市立中央図書館
企画:琉球大学附属図書館研究開発室
高良倉吉(琉球大学法文学部教授)
大城學(琉球大学法文学部教授)
紺野達也(琉球大学法文学部准教授)
豊見山和行(琉球大学教育学部教授)
赤嶺守(琉球大学法文学部教授)
前城淳子(琉球大学法文学部准教授)
大濵郁子(琉球大学法文学部准教授)
里井洋一(琉球大学教育学部教授)
協力:塩出浩之(琉球大学法文学部准教授)
印刷:文進印刷株式会社