「琉歌」は和歌に対する琉球語(琉球方言)で作った「琉球歌」の意で、単に「歌」といえば多くこの琉歌であった。この同じ詞形がその土地の歌という意味で「島歌」「島唄」と言うこともある。琉歌は、四句、八・八・八・六音の歌が一般的なもので、これに八音一句以上若干句を加えたものを「長歌」、七・七音、七・五音、五・五音の上句に琉歌の下句(八・六音)をつけたものを「仲風」という。
 琉歌を集めた琉歌集は、18世紀末の『琉歌百控』が古いほうで、以後写本で伝えられたものが30種ばかりあるが、すべて古典三線の曲(節)で分類された節組琉歌集である。つまり三線音楽の歌詞集である。琉歌は元来、謡う歌として発生し、曲節(音曲)にのせられ、三線と相互に連れ合いながら発展してきた。三線の楽譜である『屋嘉比工工四』には117曲の琉歌が旋律符号のそばにカタカナで書かれている。琉歌集は三線のための歌詞集であると同時に、読む歌集としての側面も持っている。
 和文学には和歌と和文と物語がある。この三者は和歌という共通の基盤の上にある。つまり和文は和歌のポエジーを持ったいわば雅文であり、物語は多く歌物語である。平敷屋朝敏の『貧家記』『若草物語』『苔の下』『万歳』、識名盛命『思出草』、宜湾朝保編『沖縄集』『沖縄集二編』などがよく知られている。
 琉球における漢詩はいつ頃から作られはじめたのかはあまり知られていない。漢字は13世紀半ばにひらがなとともに日本渡来の僧侶や日本へ留学した僧侶らによってもたらされたといわれるし、1372年中国洪武帝の時代に中山王察度が進貢したのをきっかけに中国との外交が開け、さらに 人(福建人)三十六姓の渡来に伴って、漢字文化が流入したともいわれる。琉球から国子監に留学(官生)するようになったことや、1404年に中山王武寧が冊封を受けてから中国から冊封使が来琉するようになったのも大きい。1725年に編纂された詩文集『中山詩文集』は琉球最初の漢詩文集として名高い。この詩集は程順則が久米村の詩人を中心にして文章と詩を集めて編んだものである。この時期には、『四知堂詩稿』(楊文鳳)、『琉館筆譚』(同)、『東遊草』(鄭元偉・尚元魯・魏学賢)、『東国興詩稿』(東国興)、『※□山遊草』(蔡大鼎)、『琉球詩録』(林世功、東国興)、が出ている。

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2-1. 琉歌百控
(りゅうかひゃっこう)
 [写] 編者未詳 書写本 全73丁 (伊波普猷文庫 )

 最も古い琉歌集。三味線歌謡としての琉歌を集大成したもの。上編 琉球百控乾柔節流、中編 琉球百控独節流、下編 琉球百控覧節流の三編からなり全601首を収める。各巻末に書写年が記され、上編1795年、中編琉歌1798年、下編1802年とある。上中編は一首2行書き、下編は1行書きである。各編とも20段に分かれ、それぞれ<部>あるいは<節><物>がつき、各段5節(1節2首)という構成。「乾柔節流」では1節の2首が同内容というものが多く、194首。「独節流」「覧節流」は初頭の語句が同一になっており、それぞれ203、204首。また「覧節流」には作者名の記されたものもある。真境名安興旧蔵。  <詳しく見る


2-2. 琉歌集−琉歌百控乾柔節流−
 [写] 1冊 (27枚) 大正元年 (伊波普猷文庫)

 初頁に「此の歌集ハ友人恩河朝祐君の公務を帯ひて伊平屋島に出張せし折に同島の某家所蔵の古本より寫して特に予に贈りたるものなり 仲吉朝助記」とあり、最終頁に「大清乾隆六十年乙卯正月十日 撰寫より書 壬子 旧六月十五日寫之」とある。おそらく大正元年(1912)であろう。またそれに続く朱書から、大正14年3月10日に伊波普猷に贈られた事がわかる。
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2-3. 佐佐木本琉歌集
(ささきぼん)
 [写] 1冊 (伊波普猷文庫)

 伊波普猷が佐佐木信綱所蔵の琉歌集から書写したもの。「昭和13年9月21日写」とある。伊波普猷は1932(昭和7)年7月、佐佐木信綱氏より、同氏蔵の「琉歌百控乾柔節流」の鑑定を依頼されている。

2-4. 琉歌集
 [写] 筆者・筆写年代未詳 1冊 墨付53丁 (宮良殿内文庫)

 かぎやで風節から伊豆味節までの百節に琉歌728首,口説等が11編収められている。典型的な節組琉歌集。


▼2-4.琉歌集

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2-5. 琉歌集
 田港朝春[写] 1冊 年代不詳 (伊波普猷文庫)

 かぎやで風節をはじめとする100以上の琉歌が集められていて貴重である。田港朝春については不明。
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2-6. 琉球大歌集/小橋川朝昇[編]
 田島利三郎[写] 明治30年(1897) 全42丁(伊波普猷文庫)

 原本の存在未詳。現存する写本はこの田島利三郎筆写の抄本で「明治丗年正月二十日 随々菴主 語学材料 第拾八」とある。<稿本ニテ完結セズニ故人トナリシカ如シ、一ノ巻神歌ノ部ハ唯余白存シ三巻以下目録アルノミ也而カモ二巻ノ終ニ吾歌ヲ載セテ略々完結ノ意ヲ示セリ>という田島の記述がある。<大歌集目録>(巻7より構成)や凡例などから、小橋川が、神歌・琉歌・組踊・念仏歌・木遣りなどを総合的に編纂する意図があったが未完で終わったことをほぼ推察できる。本文は、前半が歌うための節(曲)組によるもの、後半が<雅頌><古跡><狂歌>などに分けられ、作者別になっている。総数514首。琉歌集は節組を中心にしたものが殆どであるが、読むための琉歌を意識的に編纂した点では先駆的なものである。
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2-7. 古今琉歌集/富川盛睦[編]
 明治44年(1911)1冊 刊本 (伊波普猷文庫)

 琉歌集の一つ。系統を同じくする三つの刊本があるが、その一つ。富川本は1911年12月発行。編輯兼発行者富川盛睦。表題に<古今琉歌集 再版>とある。本文62丁、収載数1697。本歌集は、小橋川朝昇編『琉球大歌集』に基づき、その他数本を参考に取捨編成したもので、従来の節(曲)組を改めて、『古今集』的な、読むための編纂をした最初の琉歌集である。春・夏・秋・冬・恋・仲風・雑の部立になっている。
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2-8. 琉歌疑問録 玉山稿/恩河朝祐著
 [写] 1冊 明治33年1月 (伊波普猷文庫)

 玉山とは恩河朝祐のことである。琉歌や組踊集についての疑問を箇条書きで書き並べたもの。
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2-9. 琉球歌選 玉山稿/恩河朝祐著
 [写] 1冊 明治33年1月 (伊波普猷文庫)

 玉山は恩河朝祐のことである。伊平屋島に於いて明治33年1月に書き写された琉歌である。伝承歌を中心に384首を納め、歌の右肩上に小さく作者を示す。
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2-10. 琉歌集 附口説集
(りゅうかしゅうつけたりくどきしゅう)
 浜川[写] 1冊 (伊波普猷文庫)

 琉歌100首のほか、金武節や仲風節など20以上の節歌、口説などが収められている。口説とは叙事的な長編の歌で、江戸時代に本土で流行し、沖縄には屋嘉比朝寄によって伝えられたといわれる。
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2-11. 文書集(琉歌)
 [写] 1冊 (宮良殿内文庫)
 巻紙になっている。口説をいくつか書きつらねてある。
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2-12. 戊申琉歌会

(ぼしん)
 1冊 明治41年 (伊波普猷文庫)

 明治期の多くの琉歌結社の一つ。その名に示すように、「戊申詔書」にきっかけを得て発足した会である。会員は当時、模範村とされた具志頭村の村民及び点者の上江洲由具である。題詠としての歌であり、点者の添削を経て新聞へ投稿されたものも多い。最後のページに運営状況も載っていて興味深い。また、『琉歌大観』にその歌が10首余り確認できる。
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2-13. 琉歌大観/真境名安興[編]
 1部 5冊 複製本  (台湾大学所蔵)
 尚徳時代(1461)から大正6年(1917)までの450年余に亘るあらゆる琉歌が集成され、さらに奄美大島や宮古、八重山など広範囲にわたる歌が収録された、まさに大観の名に相応しいものであるが、稿本のままで刊行されず、笑古稿本の原本も不明のままとなっている。展示品は台湾大図書館が所蔵する同書の複写本(全5冊)を写し込んだマイクロフィルムから製本したもの。台湾本は、巻一から巻五(五冊本)の和装袋綴本で、巻によって字体がそれぞれ違う。護得久朝惟、昇曙夢、東恩納寛惇らの序文と真境名安興による琉歌の解説および編纂の大意が記され、また参考書目として61種(82冊)の古琉歌集のリストと五十音順の作者名索引が付されている。真境名による歌詞解釈と本文の中の歌詞注釈は、歌意の理解に役立つ。古語で諸説あるものについては未詳語としてその旨注記されている。
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2-14. 浦添家本伊勢物語
(うらそえけぼんいせものがたり)
 [写]  1冊 109枚 和 鳥の子紙 筆写 沖縄県指定有形文化財 (島袋源七文庫)

 沖縄に伝来した室町時代中期写本。連歌師肖柏の『伊勢物語』注釈書『伊勢物語肖聞抄』(1480)本の一つ。伝肖柏自筆本に近い。浦添御殿(浦添朝熹家)旧蔵だが、沖縄に伝来した事情は不明。牡丹花肖柏は二条家の歌統を伝える歌道家として三条西実隆と並んで宗祇に師事する。この本が「混効験集」の参考にした本のひとつであろうと考えられている。沖縄の和文学受容の歴史を知る上で貴重な遺品で、昭和49年(1974)10月、沖縄県の有形文化財に指定された。

▼2-14.浦添家本伊勢物語 沖縄県指定有形文化財

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2-15. 大和歌集
(やまとかしゅう)
 [写] 大清道光27年丁未4月吉祥日筆写 1冊 29枚  楮紙 (宮良殿内文庫)

 本土の近世歌謡集。「吉田のおやぢ兼好は,さわぐ浮世にたヾつりづり〔つれづれ〕と,かいて残せしふみとの心中」といった「心中ぶし」や「六十ぶし」「してなぶし」など十五ふしの本土近世歌謡が収められている。吉田の心中節は伊江島でも歌われており,かつて沖縄で広く歌われた形跡もある。
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2-16. 和歌集
 [写]  1冊 35丁 罫紙使用 筆写年代・筆写者不明 (宮良殿内文庫)

 前半は,小倉百人一首の100首を収めている。後半は,小倉百人一首の著名な歌人の歌を中心に186首を収めている。 122番歌から162番歌までは,他書から引用した歌を挙げていて,ひとつひとつ評釈が加えられている。 163首からは「対類和歌集」という耳慣れない歌集からの引用である。知識層の教養の一環でもあった和歌を,八重山の人々がどのように摂取したのか,近世の和歌の受容の様子を伺うことのできる歌集である。
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2-17. 和歌集
 [写] 1冊 16丁 楮紙 写本 (宮良殿内文庫)

 和歌を一枚に一首書いたもの。書としてもよい。最初の一首は香川景樹(1768−1843)の『桂園一枝』にある。
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2-18. 兼題集(俳句・短歌集)
(げんだいしゅう)
 [写] 1冊 71丁 (宮良殿内文庫)

 兼題とは 歌会・句会などで、前もって出された題のこと。句会・歌会の記録として、俳句・琉歌・短歌が収められている。明治から大正にかけて活躍した歌人 大口鯛二、岸本賀雅などの名がある。沖縄の人によって作られた俳句はあまり残っていないので、珍しい。


2-19. 萬事草稿用紙(俳句・短歌集)/宮良当整著
 [写]  1冊 91丁 (宮良殿内文庫)

 兼題の俳句や琉歌、短歌の草稿集。2-18と同筆である。春の海・鶯・青麦などの題が見える。
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2-20. 崎山之御園一件
(さきやまのおんそのいっけん)
 [写]  1冊 33枚 和 毛筆書 帙入 (仲原善忠文庫)

 「崎山之御園一件」のほか、「西園之賦」、「好楽亭乃記」、「花の山川の」で始まるつらね、鹿児島へ出すためであろう手紙の雛型を集めた「書簡集」などが収められている。「崎山」「西園」「好楽亭」などは和文と琉歌で記してあり、大和の歌物語を思わせる。つらねとは八八音の詞を連ね、八六音で終わる琉球歌謡の一形式である。
 


2-21. 東國興詩稿/東國興著
(とうごくこうしこう/とうごくこう)
 [写] [1840年(尚育6)]

 官生東國興(津波古政正)の漢詩集。1巻。自筆稿本。国子監教習孫衣言の評定がついている。かれと同時に渡清した官生4人の習作「琉球詩課」がやはり孫衣言の評定を付しているところから、この詩集も東國興の官生時代のものとみられる。

▼2-21.東國興詩稿

 


2-22. 詩集(漢詩集)
 宮良當整[写] 光緒14年 1件 21丁 楮紙 (宮良殿内文庫)
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*書誌的事項中の [写] は、自筆本・書写本等、肉筆の資料を示す。

 


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