
展 示 資 料 解 説
4-1. ベニョスキー伯航海回想録
Memoirs and travels of Mauritius Augustus count de Benyowsky / written
by himself ; translated from the original manuscript. London, 1790
ハンガリー生まれポーランド士官ベニョスキー伯の回想録。フランス語の原稿(大英博物館所蔵)からの英訳。ベニョスキーは1771年8月14日、種子島を経て奄美大島に漂着。奄美大島の島民から、1749年に同島に来たポルトガル耶蘇会所属の宣教師の一人イグナチオ・サリスの手記を示され、またサリス旧蔵の祈祷書が島民によって保存されているのを確認した。
4-2. ラ・ペルーズ世界周遊録
A voyage round the world performed in the years 1785, 1786, and 1788 by
the Boussole and Astrolabe / by J. F. G. de la Peouse ; translated from
the French and arranged by M. L. A. Milet-Mureau. London, 1799
フランス人ラ・ペルーズは世界周遊の途上、1787年5月初めに琉球沿岸を航海。上陸はしなかったものの、八重山諸島近海で丸木舟の住民から飲料水を得た記録がある。琉球に関する記述は『中山伝信録』の仏訳で知られるピエール・ゴービルの著作による。
4-3. アジア文学歴史言語録/J. H. クラプローズ著
Archiv fur asiatische Literatur, Geschichte und Sprachkunde / Julius von
Klaproth. St. Petersburg, 1810
クラプローズはドイツの東洋学者。朝鮮語がウラル・アルタイ系言語であることを唱えた。本書は全9章からなり、1章を琉球語の記述に当てる。『夷語音釈』にもとづき、天文、地理、時令、花木、鳥獣、宮室、器用、人物、人事、衣服、飲食、身体、珍宝、数目の全14門に及ぶ琉球語269語を収録し、琉球語が「日本語の一方言であること」を証している。
4-4. 朝鮮西部沿岸及び大琉球島航海探検記/B. ホール著
Account of a voyage of discovery to the west coast of Corea and the Great
Loo-Choo Island : with an appendix containing charts, and various hydrographical
and scientific notices / Basil Hall ; and a vocabulary of the Loo-Choo
language by H. J. Clifford. London, 1818
バジル・ホールの航海記。ホールはイギリス海軍ライラ号の艦長として、1816年にアマースト卿の中国使節団に随行し、同使節を中国に送り届けたのち、朝鮮、琉球を訪問して本航海記を著した。琉球の人々との交流を好意的な視点から描いた本書は、1818年に出版されると大いに反響を呼び、数カ国語に訳されて版を重ねた。
本文挿絵より
4-5. ジャワ、中国、大琉球航海記:付セント・ヘレナ島に幽閉中のナポレオンとの会見記/B.
ホール著
Narrative of a voyage to Java, China and the Great Loo-Choo Island...
: and of an interview with Napoleon Buonaparte, at St. Helena / Basil
Hall. London, 1840 (ブール文庫)
1816年9月16日に琉球を訪問した英艦ライラ号(艦長はバジル・ホール中佐)は10月27日に出帆し、広東、マニラ等を経て幽閉中のナポレオンのいるセント・ヘレナに到着した。バジル・ホールとナポレオンとの琉球に関する対話は1826年に出版された第3版に初めて登場する。ナポレオンは、琉球に武器や戦争がないと言うホールの報告に驚き、この話が広く世界に平和な国、琉球を印象づけた。
4-6. 東洋の海/B. W. バックス著
The Eastern Seas : being a narrative of the voyage of H.M.S メDwarfモ in
China, Japan and Formasa / B.W. Bax. London, 1875
バックス大佐は英国帝国海軍に所属し、ドワーフ号を率いて、1872年9月10日、那覇に寄港。3日間の琉球滞在中、泊港近くの外人墓地へ足を運び、アルセスト号寄港(1816年)以来この地に眠る英国海軍の一水兵の墓標を確認した。薩摩の琉球入りを中心に琉球史の概略にも触れている。
4-7. 東支那海沿岸航海日誌:付シャム・朝鮮・琉球記/C. ギュツラフ著
Journal of three voyages along the coast of China in 1831, 1832, &
1833 with notice of Siam, Corea, and the Loo-Choo Island / Charles Gutzlaff.
London, 1834 (ブール文庫)
イギリスの宣教師ギュツラフは日本開教のため1832年8月那覇に入港、鎖国禁教下の沖縄で聖書などを頒布した。後に布教のため来琉するベッテルハイムに影響を及ぼした。ギュツラフは本書で琉球語と日本語の類似性を指摘している。
4-8. 琉球とその人々/J. スミス著
Lewchew and the Lewchewans : being a narrative of a visit to Lewchew,
or Loo-Choo in October, 1850 / by George Smith. London, 1853 (ブール文庫)
ビクトリア僧正ジョージ・スミスは1850年10月3日、蒸気船レイナード号で那覇に入港。1846年に来琉した宣教師ベッテルハイムに会い、その活動状況を調査した。本書では幕府と王府の外交政策を嘆き、神の福音と英米クリスチャンの援助の必要性を説く。また琉球の産業にも触れ、甘蔗が雇用につながっていること、酒とともに砂糖が輸出品であり、タバコが住民に嗜好されていること、綿、塩が生産され、豚や山羊や牛が飼われていることを挙げている。
4-9. ペリー提督日本遠征記
Narrative of the expedition of an American squadron to the China Seas
and Japan : performed in the year 1852, 1853, 1854, under the command
of Commodore M.C. Pery, United States Navy / Francis L. Hawks. Washington,
1856 (ブール文庫)
日本との条約締結を目的としたペリー提督率いるアメリカ艦隊の航海記。第1巻(本記)25章のうち7章が沖縄の記述にあてられている。江戸での条約交渉に際し、ペリーは5回にわたり那覇に寄港し、本土との中継基地として利用し、その間、沖縄の水路の調査、奥地探検、首里城訪問を行った。1954年3月、日米和親条約締結に成功し、同年7月11日、琉米修好条約を結んだ。後者は、ペリーと摂政尚宏勲(与那城朝紀)が著名し、英漢両文の7ヵ条からなる。内容は訪琉米人の厚遇・必要物資や薪木の供給、水先案内等である。
本文挿絵より
4-10. マーチェサ号航海記/F. H. H. ギルマード著
The cruise of the Marchesa to Kamschatka and New Guinea : with notices
of Formosa, Liu-Kiu, and various islands of the Malay Archipelago / F.
H. H. Guillemard. London, 1886 (ブール文庫)
大冊2冊からなるが、大半が琉球の記述にあてられる。明治期の沖縄に、未だホールが描いた理想郷の面影があることを述べ、その歴史と風俗を紹介している。守礼の門、識名園等をあしらった12枚の図版を収録。
本文挿絵より
*書誌的事項中の [写] は、自筆本・書写本等、肉筆の資料を示す。
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