宮良殿内文庫の世界

本学法文学部教授 池宮正治

宮良殿内(みやらどぅんち)というのは, 代々八重山の頭職を勤めた宮良家に対する尊称である。 したがって宮良殿内文庫というのは, この家に伝来した資料を一括して総称した名称である。 本学図書館にその文庫が設置されたのは1962年のことで, 宮良家十代の当主宮良当智氏が,多くの人達に研究活用されることを願い, その保存を本学に託したのに始まる。 資料のほとんどは1771年のいわゆる明和の大津波以降の, 王国時代の八重山の行政に係わる地方(ぢかた)文書で, 二つとない貴重なものばかりである。その数おおよそ300点近くにのぼる。

Miyara-Dounchi appearance 宮良殿内文庫の魅力は,この家が絶えず八重山行政の中心的な頭役を出す家であり, 王府の八重山支配の様子や,八重山の行政そのものを知ることが出来ることであり, もう一つの魅力は,私的な暮らしや教養を伺うことができることである。 前者には,与世山親方が宮古・八重山の検使として派遣された時のものと思われる, 租税関係を記した「八重山諸島御規模帳」(乾隆33年写), 杣山の仕立て抱護や職務に関して記した「八重山島杣山職務帳」(咸豊4年写), 宮古・八重山に派遣された翁長親方が蔵元の行政組織をまとめた 「八重山島蔵元公事帳」(咸豊7年写), 宮良当親が咸豊9年に大目差役で沖縄へ上国したときの記録 「八重山島地船上着公事帳并上国役人公事帳」などがある。 面白いところでは,ペリー提督にかかる文書一紙(手形)である。 ペリーは咸豊3(1853)年4月19日那覇港に現れて開国を迫るとともに, 力を誇示して首里城に入城するなど,王府も大いに困惑する。 その後ペリー艦隊は神奈川の浦賀に現れ,幕府に開国を迫り, 日本国中が上を下への大騒動になったことは,周知のとおりである。 琉球ではペリーが浦賀へ行っている間に,水夫の一人が民家に押し入り, 住民に殺されるという事件が起こっている。 ペリーはさっそく犯人の検挙と処罰を求め, 窮した王府は「かま渡慶次」なる者を犯人にして「八重山江一世流刑」とした。 その時の,咸豊4年9月「布政官」より八重山在番宛の実物の文書が残されている。 実は犯人は「田場武田」で渡慶次は替え玉,「布政官」とその役人の姓名, 「琉球国中山府知府之印」の朱印も架空のものであった。 明和の大津波による人口の減少と農作物の不振, これによる租税の減免を陳情した文書もある。

石垣市大川にある宮良殿内といわれる屋敷は,現在国指定の文化財である。 1819年に建造された,琉球様式といわれる庭園とともに, 赤瓦葺きの堂々たる建物で,頭職の権勢を示すものでもある。 王府は地方官の瓦葺きを咎めて,数次にわたって茅葺きに改めるよう命じ, やっと明治6年王府の瓦解が目前になった時点で,茅葺きになった。 歴史の皮肉である。同時に拒みつづけた宮良殿内の権勢を思うべきである。 この関連の文書もある。先島の組織上の最高責任者は在番奉行で, これは首里から派遣される。これを招待した時の日記や次第・献立等がある。 料理はおおむね大和風,小謡をうたうこともあった。

琉球版の「太上感応篇大意」をはじめ, 「四体蘭亭帳」「四書大学章句」「四書中庸章句」「論語集注俚諺鈔」 「孟子集注俚諺鈔」「重改中庸章句俚諺鈔」「補注孔子家語」などの版本もある。 その他儒教関係の図書は多い。

医学も士族層の教養の一つだった。病名と薬方を書き記した「条一官伝書」と, 中国医書を翻案した渡嘉敷通起の,妊娠・出産・育児などの心得,禁忌, 病気と治療などを書いた「好生要伝」がある。

その他謡曲の「諷」(うたい)本や,組踊集,和歌集,琉歌集, 本土近世歌謡を集めた「大和歌集」,「琴工工四」などがある。 中でも「大皷段」「笛并皷大小太皷打合段」は唱歌をともなういわば楽譜であるが, 笛と大皷小皷太鼓のアンサンブルは能では四拍子(しびょうし)といい, むろんその影響下のものであろうし,石垣に伝わる大胴小胴もこれに類している。 組踊にもこうした編成が見られものである。 芸能研究にも大きな影響を与えそうな資料である。

官僚としては当流の書法と文書の礼法は必須の教養であった。 したがってこれに関する手本や案文も多く含まれている。 「大橋庭訓往来」や「大橋長右衛門殿御手跡」「島田定孝筆跡」 「御用筆仲本里之子親雲上御手跡」などもその方向の関心によるものである。 「鄭嘉訓書」は関防印のあるべき冒頭を失っているが, 末尾には「鄭嘉訓」と「爾方」の陰陽の方印二顆が鮮やかに押されている。 文字は力強さと繊細さを兼ねそなえた行書で,まさに美術品である。 早急に表装して保存を図りたいものだ。

宮良殿内文庫は,王府の八重山支配, あるいはそこでの八重山の人々の暮らしを知るばかりでなく, 首里那覇のかつての士族層が忘却した教養の輪郭をも, おぼろげながら我々に描いてみせてくれている。 宮良殿内は興味がつきない知の泉である。

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